2011年3月19日土曜日

社会リスクとしての新聞報道

社会の中には一定数のバカが存在する。しかも、そのバカが誰かは決まっていない。場合によって、さまざまな人がバカになり得る。こう書いている私もバカになり得る。それまで蓄積した知識や情報量は多少関係するけど、決定的ではない。では、バカを直すにはどうするか? 誰かから「バカだ」と指摘してもらうしかない。それを繰り返せば、情報の氾濫に慣れて勘が働き、バカになる確率は減る。

その意味で言えば、今の新聞は、バカを直すチャンスを受けにくい仕組みになっていると思う。その結果、素人目にも明らかなデマ記事が出てくるようになった。象徴的なのは、福島県の病院の患者が21人亡くなったことが「院長が見捨てた」と書かれたこと。私は、当初からこの報道はおかしいと思ったが、その病院に勤めている看護師の息子がtwitterで懸命に発信したことで、真相が全く違ったことが分かった。
▶福島・双葉病院「患者置き去り」報道に関する情報

驚くべきは、新聞記者たちが、この情報の真偽に対して、まったく勘が働かなかったこと。未曾有の災害の中だから、事実が混乱して伝わることを勘定に入れねばならない。ちょっと考えれば「変だ」と思うはずだ。それを確認しないで、読者のウケが良いからと「専門家をaccuseするステレオタイプ」で煽る。

どうしてこうなっちゃうのか? これはtwitterのシステムなどと比較してみればすぐ分かる。twitterでは、デマ情報が出ても、それに対して様々な人が検証し、訂正する道が開かれている。つまり、送信はすぐreactionを生み、第一次情報に溯って、その真偽の検証に通じる機構があるわけだ。これは政府情報でも同じ事だ。不正確な情報を出すと、メディアやインターネットで叩かれる。だから慎重になる。

ところが、新聞はそういうチェックがきかない。いったん発行するとreactionまでに時間がかかる。だから、間違いをしても、なかなか訂正されない。そのうちに、世間の方が事件を忘れてしまう。裏を取らないままにaccuseし、ぼろが出ても謝罪と訂正をしない。謝罪しても、ほんの片隅に載せるだけ。その結果、事実の確認なし・論理性なし、とにかく注目を引きそうな方向に突っ走る。いきおい政府の慎重さに対しては「情報を隠している」と居丈高になり、不安におののく大衆を決まり文句で煽りまくる。しかし、専門家の意見はまったく違うのである。
▶日本の原発についてのお知らせ;英国大使館

もちろん、twitterを使う人々が特別賢いわけではない。しかし、少なくとも間違った/不正確な/行き過ぎの情報には、即座に何らかの反論・訂正が出てくる。結果的にせよ、デマを出したら強い非難が来ると覚悟しなければならない。その結果「「自分が間違っているかも知れない」という前提の元で発信するという謙虚さが生まれる。システムが人間の賢さを育てるというのか。

新聞には、その謙虚さが機構上形成されない。そのため、バカが矯正されないまま拡大される。今までは、そのコストを甘受しても、それしかないから使っていた。しかし、別なメディアが出てきてより正確な情報を伝えられるなら、新聞は、もう社会に貢献する価値はない。むしろ最後のあがきとして、ますますセンセーショナルな報道に走り「報道災害」を引き起こす。

たとえば、福島原発への放水。現場としては、空から放水しても効果は少ないという判断だったのではないか。無駄に自衛隊員を危険にさらすわけにはいかない。最悪の事態になっても、スリーマイルと同じく10km程度の立ち入り禁止で済むのなら、放水する意味はない。しかし、何か形を見せないと新聞が「政府が無能だ」と叩きまくる。だから、写真写りの良さそうなヘリコプター放水という方法を選んだ、としたらどうか?

もちろん、これは単なる空想にすぎず、事実はそうでないだろう。しかし、新聞の体質は、いずれこのようなポピュリスト的選択に政治を追い込むだろう。この傾向に抗するには、記者自身の資質をよほど高めねばならないと思うが、そろそろ手遅れなのかな、という思いを強くした地震報道の今日この頃でした。


●現地からの津波体験レポートが届きました。南三陸町発。仙台在住の小野寺宏さん記述です。


●H・S・Pのメンバーの仲間から届いた医療情報Linkを作りました。このページの右上、vocabow toppageにもリンクを張ってあります。被災地での医療活動に役立てていただければうれしいです。

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