2011年3月17日木曜日

災害と品性

確定申告の最終日だったので、税務署に行った。去年の最終日は長蛇の列で、税務署の建物を取り巻いていたのだけど、今年はほとんどいない。並んだら、あっという間に順番が回ってきて、「はい、これで提出完了」ということになってしまった。

地震・津波の影響があるから、提出期限を過ぎても多少は良いのだろうけど、それでも驚いた。別に、東京は大した被害を受けていないのだから、確定申告ぐらいやってできないわけではないと思うのだけど、「地震だから」というので止めちゃったのだろうか?

別に、私は税務署の味方ではないし、「税金を納めましょう」という側でもないけれど、こういう態度には何となくいい加減さを感じてしまう。本来的には、やりたくないことなのだから、なるべく言い訳を見つけて、先送りしようとしていると言ったら言いすぎだろうか。

これは、首都圏で食料やガソリンなどを買い占めをしている人にも言える。なくなったのは、即席麺だとかパンだとか、すぐ食べられるものばかり。魚や野菜などの生鮮食料品はたっぷりというわけではないけど、充分残っている。築地でも、魚は買っても冷蔵庫が必要なので、値が下がっているとか。

これも、税金と同じで「地震だから」ということで「今日は料理できないから、カップ麺ね」と都合のいい言い訳に思える。東京二十三区内は「停電」はない。今日明日の分くらいなら、充分火は使えると思うのだけど、「料理は嫌い」という気持ちがあるから、地震にかこつけて止めてしまう。怠惰って本当にしようがないね。

そのくせ「計画停電」が計画通り進まなかったからと「混乱が続く」などと文句を言う。計画なんて言ったって、ざっくりやっているだけなので、少しぐらいずれたって仕方ないだろう。もう「計画停電」なんて呼ぶのを止めて、天気予報みたいに「電気予報」と呼んで「今日の確率60%」なんてした方がよいかも知れない。

インドネシアなんて、いつ停電になるか分からない。電気が付かなくなって始めて分かる。それで人間が死ぬ訳じゃないのだから、この非常時に文句は言わない方がよい。担当者は生活レベルの電気使用だけでなく、マクロな影響も考慮しているに違いない。普段気づかないけれど、それが結局は生活の基礎を形作っているのだ。

東京は大した被害はなかったのだから、速く日常に戻れよ。疑心暗鬼になっておたおたするな。みっともない。たまたま乗ったタクシーの運転手さんもそう言っていた。私もそう思う。

一般的に、修羅場に対面すると、その人の品性がじかに出てくる。今度もtwitterなどを見る限り、ずいぶん「みっともない」姿をさらした人がいた。はやばやと東京を逃げ出したり、執拗に政府とメデイアの結託を主張したり、臆病さと政治が入り交じる。学歴とか職業とか関係ないね。その様子が白日の下にさらされると考えれば、今度の地震はけっこう興味深い。特に双方向で素早いメディアが実現した時に、どういう言説が飛び交い、それが社会的にどんな影響を及ぼすかという研究対象になるだろうね。

ところで、私の親は仙台にいるのだけど、もう電気も水もとっくに来ているという。風呂にも入れるのだけど、地域の人が大変なのに自分達だけ入るのは悪いから、と我慢しているらしい。同じ仙台でも、海側は被害がひどく、大変お気の毒だが、復興が速いところもあるのだ。

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