2011年7月17日日曜日

暑い夏のロジカルシンキング

現今の「政治の混乱」を見ていると、マスコミを初めとして「議論力」「論理的思考力」がまったく欠如しているのを感じる。たとえば、菅首相の「辞任表明」にしたって、私はTVを逐一見ていたけど、まったく「辞める」とは言っていない。むしろ、ロジカルに考えれば、問題が片付くまでは「辞めない」と受け取れる。もちろん、菅はそのつもりで意識的にダブル・ミーニングを利用しているんだけど。

その構造を見抜けないで、マスコミは「退陣表明」と一方的なテロップをつける。要約力に欠けているとしか思えない。尻馬に乗って、民主党の野心を持った政治家(そもそも野心を持たない政治家は政治家ではないけどね)が「いつ辞めるんだ、七月か八月か」と騒ぎだす。菅は当然辞任時期を明らかにしない。するとマスコミが鳩山に「菅さんが辞めないって言っているけど」と追求する。鳩山も「菅は嘘つきだ」と言わざるを得ない。事態収拾してバランスを保つ会談のはずが、強引に政局にねじ曲げられる。

こういうマスコミのマッチポンプ的な態度は、一貫している。すでに、ネット上でもいろいろ取りあげられているが、次の報道を見れば「マスコミのねじ曲げ」がどのように起こっているのか、一目瞭然だ。

●脱・原発依存」を表明 首相(東京新聞)
菅直人首相は十三日夕、官邸で記者会見し、今後のエネルギー政策について「将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」と述べ、深刻な被害をもたらした福島第一原発事故を踏まえ、長期的には原発のない社会を目指す考えを表明した。
首相は事故後、原子力の活用を中心にした現在のエネルギー基本計画の見直しには言及してきたが、「脱原発」に転換する方針を初めて打ち出した。「原発に依存しない社会を目指すべきだと考え、計画的、段階的に原発依存度を下げる」と指摘したが、時期など具体的な目標は「中長期的展望に基づいて議論し固めていきたい」と述べるにとどめた。

「脱原発」宣言…電力供給確保の根拠もなく(読売新聞)
菅首相が13日の記者会見で、将来的な「脱原発」を表明したのは、自らがエネルギー政策の見直しという歴史的な転換に着手することで、首相としての実績を作る狙いがあったと見られる。

ただ、原子力発電所に全く依存しない社会を作るための道筋や十分な電力供給が確保できる根拠は示されず、閣内で十分に議論された形跡もない。場当たり的ともいえる対応に、実現性を疑問視する声も多い。●●

東京新聞の方は、首相発言をそのまま報道しているのに、読売の方は「実績を作る狙い」という憶測や「場当たり的」という評価、さらに「疑問視する」という批判まで満艦飾。だが、肝腎の、いったい誰がこういう憶測・評価・批判をしているのか、まったく書いていない。評価の根拠は「閣内で十分議論された形跡もない」とあり、誰か閣内の人の伝聞なのだろうが、そのソースは示されない。こんなあやふやな根拠で首相の発言を否定してよいのか?

たしかに、大問題の場合は、意見や方向が対立するのは仕方がない。今までのエネルギー政策の方向を変えるというのだから、反対意見を言っても構わないだろう。閣内にだって反対者は少なくないかも。しかし、いやしくも批判・否定するなら、それが誰の意見・主張なのか、せめて明示すべきではないだろうか? それをしないで、むやみと「否定的言辞」を暗闇から貼り付けて、信頼性を既存しようというのは、いささか卑劣すぎる。

こういうレッテルづけが「辞めるといった首相が何を言っても聴かない」という問答無用の態度をひろめているとしたら、由々しきことだ。そういう「空気」を利用して「脱原発なんてよい方向と思うけど、同じことを野田が言うなら、全然違う」(自民党議員の言葉)という発言まで出てきた。内容ではなく、人の好き嫌いで評価を決めるのか? 

まあ、セイジ大好きオヤジたちが、伝聞情報で「誰が次の総理になるか」と昂奮し「祭り状態」になっていると考えれば不思議はないのだけど……それにしてもバカというか低レベルというか。ボカボの講座に出席したら、ボコボコに批判されるのは必定だね。

ところで話は変わるけど、かつての受講者から、以下のようなメールをもらった。

●ご無沙汰しております。
吉岡先生が私のことをまだ覚えてて下さるとよいのですが、5年ほど前に法科大学院の入試の際、小論文の添削でお世話になりました。その後、K法科大学院の未修コースに進み、無事に司法試験に合格し、現在弁護士として働いております。
 
司法修習中、文章が読みやすいと褒めていただくことがあったのですが、あのとき吉岡先生の指導のおかげだと思っております。 文章力の基礎、ひいてはリーガルマインドの土台を築いて下さり、本当にありがとうございました。●●

もちろん覚えていますよ。WEB上の添削のやり取りだけだけど、彼女の文章のいくつかも「ああ、あれか」と見当が付く。司法試験に合格して弁護士になっていたとは。おめでとうございます!これに限らず、この頃思いがけず、はじめて会った人から「お世話になりました」と声をかけられることがある。小室先生を偲ぶパーティでも,若い弁護士の方からいわれてびっくり。たしかにボカボももう10年以上やっているので、そういう人が出てきても不思議ではないけど、実際に言われてみると感慨もひとしお。

とくに「リーガルマインドの土台」と言われるのは、ホントにうれしい。まじめな国民性なのか、日本では、問題に立ち向かうときに、つい知識を増すというsolutionを取りがちだ。「これが解けないのは、知識が足りないためだ」と思いたがる。そういう場合もあるけど、実際にその問題を解くための知識がこの世に存在しない場合も少なくない。というより、正解に至る定型的知識が存在していないから「大問題」になる。

でも「リーガルマインド」とは、そういうことではない。次のようなcreativeなスキルだと思う。

(1)問題に定型的な解決法がなくても動揺しない
(2)今まで培った教養・知識を枠組みとして新たな解決を模索する
(3)論理的構造と情報のソースを明示する
(4)空気を左右するのではなく、正々堂々と周囲からの納得を得る

それは、まだ道が切り開かれていない山にはいるようなものです。とりあえず、手持ちのナイフやザイルなどを使って、道なき道を切り開いて目の前に展望を開く「修羅場での工夫」が重要になる。公式で解ける問題にばかり熱中していると、この能力が衰退する。では、どうするか? 修羅場のシミュレーションをしておくしかない。見果てぬ正解を希求するのではなく、手持ちの道具で「しのぐ」。その結果として、他の手本となる新しいモデルや公式を作り出す。こういうcreativeな力は「修羅場の中で論理的な解決を模索・提案する」という経験を繰り返す中からしか生まれない。

こういう「マインド」を、若い人々は少しずつ身につけて世に出始めている。それなのに、セイジ・オヤジたちは伝聞に頼って、人の意見・主張をねじ曲げて理解したり、それを煽って問題化したり、それに乗じて権力をねらったり、と闇の中でうごめき続けている。結果として、民主主義へ不信や社会の混乱を招く。こういう理解力不足、要約力不足、議論力不足の人たちを一掃しないといけない。

「専門のことであろうが、専門外のことであろうが、要するにものごとを自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため。たったそれだけのことです。そのために勉強するのです」(山本義隆)

ボカボが、混乱した世相に対して対抗する手段を少しでも提供でき、問題解決能力を持っている人を輩出しているのだとしたら、本当に喜ばしいことです。でも、ボカボが活躍できることは、それだけ社会が未成熟なままだということでもある。暑い夏に相応しく、何だか悩ましい結論ですね。

さて「法科大学院小論文 夏のセミナー」および「慶應・難関大学入試 小論文 夏のブチゼミ」まで、後二週間足らず。司法試験で未修は不利だとか囁かれたが、こうやって司法試験を突破し、法曹界で活躍している人もちゃんと出ています。いくら法的知識をつけても、いつか意見が対立した未知の領域にぶつかる。また、そうでなければ大問題は扱えない。夏のセミナーで培う「マインド」とはそういう修羅場に対応していく精神の強靱さ=修羅場をしのぐ力のことをいうと思うのです。夏の暑い時期、集中して勉強に賭けましょう!

2011年7月5日火曜日

充実した人々・充実した時間

ちくま新書『東大入試に学ぶロジカルライティング』が、アマゾンでは早々と品切れ状態になっているようで、ご迷惑をおかけしました。紀伊国屋Bookwebの該当ページなどからも注文できますので、そちらをご覧ください。一ヶ月足らずで重版になりそうで、とりあえず良かったと思います。

ところで、「新しい本が出ました」という案内メールを出したら、過去の受講生の方から、続々と近況報告が来ました。たとえば、定年退職なさってから、ロースクールに挑戦なさった方からは、こんな調子のメールが来ました。

●法科大学院で論文をよく書かされます。その時、ボカボで教えて頂いた論文の書き方が非常に役に立っております。本当に有難うございました。今年の択一の合格者で71歳の人がいましたので、非常に励みになりました。今は、毎日毎日ひたすら勉強に打ち込むことができますので、本当に幸せです。●●

おーっ「毎日毎日ひたすら勉強に打ち込むことができますので、本当に幸せです」と言い切っちゃえるところがスゴイですね。最近「リア充」という言葉があるようだけど、まさに究極の充実の一言。人生の後半期に、こういう時間を持てている人が確実にいるわけ。もう一人は、血気盛んな若者。こんな感じです。

●近状報告ですが、一言で言うとhard but rewarding です。さすがは旧帝大。自分の場合、仙台に来てからほぼ毎日が次のようなタイムテーブルで動いています。
 
×月×日
7時起床 神棚の水を取り換え、ネット起動、新聞のサイトとブログを巡回。
8時にビリーズブートキャンプを35分間、その後入浴。外出の支度を整える。
9時30分ぐらいに登校、自習室へ入室。
11時過ぎに学食で朝食兼昼食。青山学院出身の友人(既修入学)が言うには値段が高い。
11時30分には自習室に戻り勉強再開。
2時40分から授業。憲法。(中略)
4時10分授業終了。とはいえ自習でためておいた質問をしない手はないので有効活用。
友人と少し話し、自習室へ。
6時からリーガルリサーチの授業。判例等の法令情報の検索方法を解説する授業。
ただ聞いていればよいので暇。思索や自習の授業と化す。ひどい人はノートパソコンでYou tubeを見ていたりする。
7時30分修了。友人と学食で夕食。
8時に自習室へ戻る。
11時に下校。
11時30分帰宅。ネット、読書。実家から持ってきた『光抱く友よ』を読む。さすがに光文社文庫でもニーチェは読む気力なし。卒業までに読めるのか?
2時就寝。●●

個人情報に関わりそうなところは微妙にカット。でも、これもスゴイ。次から次と勉強すべきことが出てきて、時間が沸き立つように流れる。それを次々とこなしていくドライヴ感。とくに「ビリーズブートキャンプ」を毎朝やるなんて…。張り切りすぎて、体を壊さないかと心配になるくらい。
 最後に、もう少しクールな充実も紹介しておきます。

●大学院の生活は、グループワークがたくさんあり、様々なバックグランドの人ととのディスカッションはとても刺激になっています。(課題が溜まってしんどくなる時もありますが…)論理的に自分の主張を組み立て、それをわかりやすくプレゼンする難しさを日々感じています。何度もトライ&エラーすることで少しずつ成長できているのかなと思います。
もうすぐ一年経ちますが、大学院受験して良かったと思っています。去年の大学院受験のご指導はありがとうございました。次のステップとして、就職をいろいろな選択肢の中からどのように決めていくかが現在の課題です。そこで、9月から1か月間シリコンバレーのインターンプログラムに申し込もうと考えています。●●

これも前途洋々の感じが溢れている。今の日本の沈滞の中「政府が悪い」だの「日本は終わり」だとマスコミで五月蠅い状況で、個人が自立して、こういう感じを持てるということは本当に貴重。ボカボを受講なさった人が、こういう毎日を過ごしているとは、本当に嬉しい。そのお手伝いが出来たことは、我々の喜びです。

どうせ放射能と共存するしかないのなら「外国に逃げたい」と念じるより、現実的な対処法=生き方を一人一人が考えねばならない。それが明確でなければ、日本では生きていかれない。そんな感じがします。

さて、今月末から、このような「充実する人々」を次々に生み出してきた「法科大学院小論文 夏のセミナー」と「大学入試小論文 夏のプチゼミ」が始まります。参加者の答案を互いに開示しながら、その発想・構造・論理を徹底的に検証するという講座。真の意味でのロジカル・シンキング、ロジカル・ライティングを修得したい方は、是非お出でください。そのクオリティは、日本でも希有なレベルに達していると思いますよ。きっと皆様が「リア充」になるお役に立てると思います。夏にお目にかかりましょう!