2011年8月9日火曜日

大変さの中で平常心を保つ

3月の地震以来、ボカボでも法科大学院志望者が例年よりやや減っていたのですが、結局「夏のセミナー」は去年以上の集まりになりました。もう第二週目になりますが、出席者が熱心なためか、毎回楽しく議論しています。あまり楽しかったためか、ブログの更新が滞ってしまいました。ごめんなさい。

こういう傾向は、東日本の震災から始まって、中国の高速鉄道事故、アメリカの国債引き下げ、イギリスの暴動など、今年は世界的にひどい状況が続いていますが、そんなことにいちいち振り回されていても仕方がない、腰を据えてじっくり自分の力を引き上げるしかないのだ、という気持ちの表れなのでしょうか? そういう風に感じられるだけ、神保町のボカボの周囲は落ち着いている。勉強に精進する中で、一種「護られた空間」になっているのかもしれません。

でも、怯える人は世の中の情報に煽られ、安心感がどうしても得られないらしい。この間も、京都の大文字焼きで陸前高田の松林の薪を燃やそうとしたら「放射能が危ないんじゃないか」とクレームが出て、やめたとか。それをあるコラムニストが批判したら「放射能の専門家でもない人間が何を言う。心配するのは当然だ。それを分からないのは最大のバカ」という罵倒twitterが来たとか。すごいね。

陸前高田といえば、仙台よりはるかにフクシマからは遠い。たとえ放射能があったとしても、東京と同じくらいか、それ以下でしょう。しかも、薪は、放射線の計測をしてO.K.ということは分かっているのに、なお「心配するのは当然だ」と言いつのる。きっとクレーマーたちは陸前高田とフクシマの位置関係も知らないのだろう。「最大のバカ」はどっちだと言いたい。

これでフクシマの小学生が京都に転校してきたら、どんな扱いを受けるのか、ちょっと怖い感じがします。差別されたり、いじめられたり、しかねないのでは? 昔から差別がキツイところらしいから、かなり心配。原発事故の後、福島県民の「疎開」を唱えた人もいるようだが、この結果を見ると、放射能より「疎開」が与える精神的トラウマの方が大きいかもしれない。まあ、京都の人のほとんどはまともだろうから、そんなことにはならないと思うけど。

しかも、もっともがっかりさせられるのは、この決定が宗教者によって行われたことだ。五山の送り火はそもそも死者の霊を送る宗教行事。宗教者ならば、非業の死をとげた者を回向するのが役割のはず。こういう国難の時こそ、犠牲者を弔う役割を持つ。ところが、来世より現世のクレーマーの声ばかりを慮るというのでは、宗教者としてどうなのかな? クレーマーが数十人出てくるのは仕方ないにせよ、そういう低脳(⁈)たちを説得する言葉さえ持たないようでは、どんな立派な寺院を持っていようが「宗教の力」なんてなきに等しい。リーダーシップに欠けているのは、政治・経済の世界だけじゃないね。日本のあらゆる分野がそうなのかもしれない。

こういうグチャグチャの状況の中でこそ、原則を確認し、優先順位を立てておかなければ、しっかりと世の流れを見極めなければならない。そうでないと、声の大きい「バカ」たちがあちこちでのさばって、排除と非寛容のムードがはびこる。3.11の後の情報混乱の中で、その必要を痛感した若い人々が確実にいるようです。だから、ボカボの講座のようなところも盛況になってきたのだと私は思うのです。世の危機に右往左往していても展望はありません。自分の考える力をまず上げる以外に、先を見通すことは出来ない。そういう地味な作業に立ち返っていくべきだと思うのです。

そういえば、世の条理を正す方法を解説した『東大入試に学ぶロジカルライティング』もはやばやと重版。これから三刷を目指します。といっても、書き終わってしまった著者は今更頑張りようもないのですけどね。真面目に読んでいただければ、これからの日本及び未来に対するヒントがきっと見つかるはず。読んだ方々はアマゾンにでも書評を送ってくださいね。

この暑い夏が終わったら、10月からは「法科大学院 小論文 Start & Follow up!」「法科大学院 適性試験 Start up!」が始まります。前者は来年の受験に役立つだけでなく、今年の国公立を目指したい方にもおすすめです。