2012年11月16日金曜日

ブログのリハビリ

ずいぶん長いこと書かなかったので、なかなかブログを書く感じがつかめません。長い間入院していたら、外を歩くのが怖くなった、というような感じかな? おそるおそる足を一歩踏み出す。今日はリハビリ気分。そんな感じなので、ちょっとだけ書きます。

夏の法科大学院小論文Real Schoolが終わり、秋のStart & Follow Up!もつつがなく終わりました。これまでに出た合格者は早稲田大学・中央大学・慶応大学・明治大学・大阪大学(特別選考)など。夏のSchoolの半分以上の人が合格したので、かなりよい成績と言ってもいい。「苦手だった文章が、やっと書けるようになった」と言われると、さすがにうれしい。

今週末も、一橋大学・東京大学・京都大学などの試験があるはず。秋のStart & Follow Up!の受講生から、きっとまた続々と合格者が出るでしょう。とても楽しみです。

さて、vocabowの方は1月までクラスはお休みで、来年初めから中頃にかけて、四、五冊本を上梓する予定。その原稿やデザインで、今、神保町オフィスは大わらわです。

まず、永遠のロングセラー『頻出テーマのまとめ方』の新年度版。来年は、いよいよ累計20万部の大台に乗ります。20万人の読者か? どれくらいの人数なのか、イメージできないけど、今までの読者の皆さん、これからの読者の皆さん、ありがとうございます。

それから『教員試験小論文の書き方』(仮題)。これは、過去の受講者から是非書いてほしいと懇請されていた企画ね。M君!やっと実現できますよ。あなたの希望通り、教育にまつわるマジックワードを果敢にぶち破った書き方をするつもり。

さらに『論理的文章の基本』(仮題)。日本語・英語共通に使える普遍的な文章論を展開します。ある意味で、これ以上はないくらいvocabow的な本ですね。さらに『大学生のためのレポート・小論文の書き方』。日本の大学生のライティング力を格段に上げることを目的とした問題演習付きワークブック。それに長年暖めていたマジックワード批判本を…

まあ、今日は、とりあえずこのくらいにしておきましょう。あんまり意気込むのはよくない。「来年のことを言うと鬼が笑う」とか。でも、来年のことは、今年から準備していなければならない。それは受講生の皆さんや、これからvocabowの受講を考えている方も同じですね。

vocabowでは、年中無休のWEBスクール個別コーチングSkype個別コーチングは相変わらず行っていますが、その他リアルスクールは来年になります。まず、1月26日からの「小論文セミナー」Weekend Gym。これは、ロースクール・MBAなどの志望者に小論文の書き方を初歩から伝授する講座です。1月27日からは「法科大学院 適性試験」Advanced。9月、10月のStart Up!に続いてやや進んだ問題を扱いますが、もちろん初歩の方も大歓迎。さらに、1月28日からは「大学入試 慶応・難関大小論文」冬のプチゼミ。慶応大学をはじめとする小論文問題に対応する力を養います。日本はだんだん寒くなるけれど、勉強はこれからが本番です。粛々と進めていきましょう!


2012年7月11日水曜日

Independentに生きるということ


先週の木曜日に、河合塾池袋校の教養講座(エンリッチ講座)で話をした。演題は「Independentに生きるということ」。実は、私は一度も「正式な就職」をしたことがない。いつも非正規労働者。フリーターとかニートとか言うが、私は35年間ずっとフリーを通してきた。

その私の「半生」(ああ、私も年を取った…)を語るという企画なのだ。こんなものに、大学を目指す若い人たちが興味を持つのかと、はじめは半信半疑。企画を立ててくれたH先生もY先生も「聴講者が全然来ない」という夢を見たとか。

ところが、蓋を開けてみると何と170人もの人が聞きに来て立ち見も出た。終わってからの講師室での質問タイムでも、ひっきりなしに人が現れ、気がついたら90分間質問に答えていたというていたらく。
いったい何でこれほど若い人が熱心なのか? 

地方の高校の先生と話すると、「いい仕事」のイメージが限られている、と嘆く。文科系なら弁護士、公務員、理科系なら医者ぐらい。「その結果なのか、県庁所在地には100mごとに医院が並んでいるんです」という情けない状況になるらしい。

とはいえ、学校の先生にもそれ以外の「職業イメージ」が見えているわけではない。むしろ、先生たちは「学校」という既知の世界に留まった人々だ。もちろん、事情は親も一緒。河合塾の場合だと「銀行」「大企業」に勤め、教育熱心。だから、子供に与えるアドバイスも「大企業」に勤めろとか「資格を取れ」とかばかり。

それでうまく行く人は良いのだが、そういうイメージでいると、たいていは思い悩む。「自分は何のために大学に行くのかしら?」と。なぜなら、社会状況が、親の頃と大きく変わっているのは、若者たちにも感じられるからだ。

たとえば、「大企業」は実質的に「40歳定年制」を取っている。私と同年齢で、最初に入った企業に居続けている人はほとんどいない。たいていは「出向」という名前で飛ばされ、収入も1/3に減る。「資格」だって盤石ではない。しばらく前は経済系テッパンの職だと言われた「公認会計士」がリストラされている。「医者」も医療過誤で訴えられ、あるいは働き過ぎで体をこわす。どれも「何だかな」的状態なのである。

「自分探しなんかやめろ」と自己啓発本の著者たちは言う。「どんなところでも入ってみれば、それなりにいいところも、熱心になれることもあるんだ」。そのアドバイスは一面では正しい。でも、それを信じて入ったところが「ブラック企業」で、朝6時から夜中の2時まで働かせられるとしたら?

何をしてもいいことはない。そんなわけで、若い人たちの気分がサイテーなのはよく分かる。

「お前、学校出たらどうする?」
「分っかんねーよ、お前は?」
「うーん、とりあえず就職かな?」
「就職してどーすんだ?」
「結婚して、子供を作って…」
「子育てして、学校に入れて、塾に通わせて…」
「結婚させて、子供が出来たら、年金暮らしで孫の面倒見てさ」
「そのうちに病気になって、死んでいく」
「…人生だなー」
「…人生だなー」

日本で出会えるのは、組織に従って「うまく生き延びてきた」というずるさの体現者ばかり。そんなサバイバル人生は、どこか情けない。「それが現実さ!」と肩をすくめられても、若い人たちが未来に希望は持てないのは当然かも知れない。

それなのに、好き勝手に生きて、とりあえず飢え死にもしないで済んでいるらしい人間がここにいる。…動物園の珍獣を見るように群がってきたのも無理ないのかも知れない。質問を浴びせ、自分もこういう決まり切ったトラックから逃げ出すための手がかりを得ようとする

そういえば、私が、かつて出会ったような人々は皆ヘンで魅力的だった。オランダからバリまで車で来て、道ばたの屋台で見かけた料理のうまい女の子を見初めて、島一番のレストランを作った若者(今はジジイ)とか、バブル期に大借金を背負って外国に逃げてきて、巻き返して「アジアのガラス王」になった工芸家とか、ロシアからインドに流れてきてダライラマの弟子になり、チベット人に仏教絵画を教えている画家とか―バカバカしくも激しい情熱。

こういう火事場の馬鹿力的なエネルギーが、今の乱世に求められるのだろう。「ゆとり教育」だって「生きる力」だって「小論文」だって、本当はそういうエネルギーをどうやって見つけようか、という試みだった。それが、いつの間にか、教育には「既知のトラック」を黙々と走るランナーのようなイメージしか供給されなくなった。

若者たちは「成功」を必ずしも求めていない。むしろ、彼らがあこがれるのは「一回だけの充実した人生」だ。自分が「今はこれが面白い!」という直観に従って生きること。自分でよいと思ったことを求めて、その結果なら甘受してもいいと思う。…のではないか?<

もちろん皆「面白い人生」にはそれなりのリスクがあることも意識している。一人の女の子は「先生みたいな破天荒な生き方をしたいけど、女の子にはリスクありますよね?」。そりゃそうだと思う。妊娠・出産・子育て、いったんそのサイクルに入ったら、もう待ったなしだ。

だが、リスク回避のために「面白くない人生」を送るのだとしたら、どちらがリスクか? 私の場合は、大学を出てから、演劇にはまり、ラジオの台本も書き、ゴーストライターもやり、海外を放浪し、破天荒な人に出会った(私自身は常識人である…)。そのおかげで、貧乏暮らしも経験したが、それも、いつか書いて元を取ろうと思っている。

こういう楽天性が、フリーランスを通してきた基盤にあるのかもしれない。「根拠なき自信」「痛い人」「はた迷惑な人」私が何を裏で言われていたかは、だいたい見当が付く。でも、そういうところがないと、フリーランスというちょっぴり無謀な生き方はやっていけないのかも。

当日のポスター文面は以下の通りである。

「日本では、今若い人たちの間で会社への「就職」が大きな関心の的になっています。私は「物書き」をやっていますが、所謂「就職」は一度もしたことがありません。いろいろ仕事はしましたが、いつもパート・アルバイト扱い。いわば、非正規雇用のハシリです。

なぜ、こんな生き方を選んだか? それは、組織の命令に従って、納得がいかないことをしたくなかったからです。お金は大切だけど、生活のために妥協はしない。「これならやる意味がある」という直観を信じる。そのために、ずいぶん遠回りをしたけど、無駄にはなりませんでした。自分なりの見方も持てたし、真似をしないで仕事する流儀もできた。

美術でも文学でも作品を作る人はすべて「作家」です。どんな「作品」でも需要してもらうには、他人にはない「自分だけの意義」が必要です。とくに、他人が注目せず、まだ開発されてない、かつ自分が興味を持てて努力できる。そういうバランスを見つけて「自分だけのスタイル」にする。その結果、往々にして世の流行に逆らう。

Independentに生きるとは、そういう状況で不安にならないで生きることです。ときには「根拠のない自信」も必要になる。初めから業績がある人なんて誰もいない。まだ十分作れていなくてもvisionへのこだわりが必要です。周囲から見ると「痛い人」であるかもしれない。でも、それしか「自分のスタイル」を作る方法はない。

私の体験を、失敗も交えつつお話しする中から、大企業に勤めたり公務員になったり、とは違った生き方や仕事のモデルがあることをお話しできたら、と思います。そういうIndependentなやり方が、これからの主流になると信じて。」

どういうメッセージが実際伝わったか、20年後が楽しみである。

さて、ボカボではReal School 法科大学院 小論文 夏のセミナー」と「慶應・難関大 小論文 夏のブチゼミ」がもうすぐ始まる。これらの講座は、受験技術の伝授ではない。むしろ、思考のエネルギーをどうやって振り絞るか、その訓練の場だ。既知をなぞるのではなく、未知の問題を解くパワーと自信を得る。ボカボはいつもそういう場所でありたい。

2012年4月30日月曜日

添削者「卒業」雑感


 数年にわたり、スタッフとして添削を熱心にやってくれたA君が、このたびボカボを離れることになりました。ちょっと残念ですが、彼の将来が発展していくことを祈りたいと思います。「卒業」にあたり、彼が「添削者雑感」を書いてくれました。ボカボでは明確な添削基準があります。だから、人によって添削方針がぶれたりしないのですが、彼の「雑感」はそのへんの事情をよく表していると思います。ボカボで長年添削をやっている人なら、皆同じように感じると思うので、ここで紹介します。

●添削者雑感
私は、4年ほどボカボでスタッフをしていましたが、今年の4月から別の会社で働くことになりました。はじめはちょっとしたアルバイトのつもりでやってきたのですが、始めてみると意外に面白く、気がついてみると、時間があるときはほぼボカボに入り浸りという状態。しょっちゅう、他のメンバーと添削談義を交わすようになりました。

自分の文章には思い入れがあり、客観的に見るのはなかなか難しい。ですから、文章を書くのに悩んだら、文章の仕組みを知っている人に読んでもらい、ツッコミを入れてもらう機会をつくる。これが添削ですが、添削する側から見ると、これは「自分にとっての文章の理想とは何か」が毎回試される経験となります。

一つひとつの文章と向き合って、主張は何なのか、論証は十分か、具体例が適切か、そもそもこういう問題提起でいいのだろうか? 日々考えるので、自分が文章を書くときでも、自然にスキルも上達する。その意味で、添削した私こそ、文章が一番上達したのではないかと思います。受講者の皆さんも文章がうまくなりたかったら、ボカボ・スタッフになるのが手っ取り早いかも(笑)。

やってみて驚いたのが、解答者のおかす間違いには、ほぼ決まったパターンがあるということです。「…ではないだろうか」と大げさな修辞疑問文を多用したり、「人間というものは…」などと大風呂敷を広げてみたり、自分の体験から一般化せず、すぐ結論に飛びついたり、他人の目に自分がどのように見えているのか、意識が回らないようです。私たち添削者は、そのうちコメント・テンプレートを作って、皆で共有していました。

では、そういう表現の間違いを直せば、いい文章になるのか? そうでもないのですね。添削して整理すると、意外に平凡な発想になっていることがよく分かる。この意見はA新聞の社説そのままだよな、とか、TVでよく解説者が言ってることだよな、とか。自分の個性的な意見を言っているつもりでも、実はオウムのように他人の意見を繰り返しているだけのことが多い。「個性的な意見」に到達するのは大変なことだな、とため息が出ると同時に「自分も頑張らなきゃ」という思いに駆られました。

 そういえば、私の大学院の指導教授は、論文は、実は問題提起でほとんど評価が決まると言っていました。論証の過程などはやり方は決まっているので、減点するところでしかない。つまり、読んでおくべき先行論文への言及が抜けていないか、結論に至る論理に飛躍がないか、など、いちいちケチをつける態度で見るのだとか。ちゃんと訓練を受けた人が書くと、こういうところに遺漏はない。論証は出来ていて当たり前なのです。

 実際、論理の法則には個性はありません。高校のとき「PならばQ」という命題が成り立っても「QならばP」は必ずしも成り立たないことを学習したと思います。つまり、論理は一定の法則に支配されているので、個性を発揮する余地はほとんどない。自分の解決を読み手が納得する最善の論証をする。そうすると、大抵一つに決まります。だから、どんな問題を取りあげるかの方に、論文の価値はあるというわけです。

 でも、それは一流のプロのレベルですよね。受講生の皆さんも私も、まだ訓練の途中。やるべきことは、個性の追求であるより、まずきちんとした説得の仕方を習得し、どんなときでもそれを適用して文章が書ける段階に達することです。人から指摘されないでも、論証にケチをつけられないように、きっちり構成できなければならない。それがまだうまく出来ないから、ボカボで添削を受けたりしているので、個性が発揮できるような段階なら、そもそも添削を受ける必要はないのかもしれませんね。だから「構成を決めちゃったら、個性はどうするの?」なんて心配に接すると、いつも「あー、またか」と思っちゃうのですね。

同じことは、志望理由書にも言えます。志望理由書=自己アピールと考えて、自分の「美点」をずらずらと並べる人がいます。たとえば、大学の授業で良い成績をとったとか、大学の授業で○○を履修したから○○を習得しているといったエピソード。他に、TOEICの点数がいくつだとかを志望理由書の本文に記載する。添削者としては、ホントに困っちゃうのですよね。

世の中で、たぶん評価されそうだな、と思われることを羅列する。でも、これって逆に言えば「世の中ってそんなことで決まるんだよな」と舐めている態度に感じられるのでは? 志望理由書で欲しいのは、その人のくっきりした輪郭とパワーです。どんな仕事/研究が出来るのか、どこまで深く考えているか、似たような取り組みと比較しているか、取り組んでいる問題に発展性はありそうか、解決のためのスキルを持っているのか、持っていないとして2、3年で補充できそうか、どこまで情熱があるのか、そういうことだと思うのですよね。

 実際、大学の評価は一つの尺度ではありますが、それを見るためなら成績表でも見ればよい。そもそも、大学院に入るのなら、大学教員になる人々は、大学の成績はほぼすべてA(優)なので、そんなことをアピールしても始まらない。逆に経営者だったら、大学の評価に疑問を持つ場合も少なくないでしょう。世の中で通用する「評価」を、そのまま信じて、それを志望理由書に書く、という態度自体がすでにしてナイーヴすぎる。そう思われる確率が大きいと思いますよ

そんなことよりも、アルバイトでも仕事でも、あるいは遊びでも、自分の経験の中で問題を発見し、それを解決するためにどう考えて、どんなアクションをおこしたのか、うまくいかなかったときに、その原因は何だったのか、何を利用してどう対処したのか、といった主体的に行動した事実を具体的に書いた方が良いのにな〜、といつも思う。その上で、そのエピソードが「こういうことをやりたい」という志望理由と結びつくのが理想だし、読みがいがある。

添削を重ねれば重ねるほど、志望理由書を書くということは「自分が元々書きたかったこと」という源に溯ることだと感じるようになりました。もちろん、書き始めたときには、「自分が元々書きたかったこと」など見えているわけではない。むしろ、書き始めたときは「世間でよくあること」に引っ張られていく。でも、それを乗り越えて「本当に自分がやりたいこととは何か?」を突き詰めながら書いていく。そういうプロセスが出ている志望理由書に出会ったときは、本当に嬉しいし、自分がしたアドバイスにしたがって、文章がそういう方向に変わっていくと、添削冥利に尽きるな〜と思います。

この数年は、自分の将来の道が見つからない時期でもあり、苦しかった面もありますが、ボカボでの経験は役に立ったし、何がサーッと見晴らせるときもあり、本当に楽しかった。これからも、ボカボに協力できることは、なるべくしていきたいと思っています。受講者の皆さんも、自分の進むべき道に向かって、ぜひ頑張っていただきたいと思います。ありがとうございました。

2012年3月27日火曜日

日本語練習の必要

この間、友人から、とある有名大の教授連の書いた日本語論文集を英語に訳す仕事を依頼された。日本の学問をglobalにアピールするための文科省お墨付き事業らしい。もちろん、日本語から英語への翻訳などは私の本業ではないので、バイリンガルを中心に適任の人を探す役だ。ボカボは意外に人脈が広いので、そういう特殊な技能を持っている人は、けっこう見つかるのだ。

しかし、元になる日本語論文を送ってもらって驚いた。何を言っているか、さっぱり分からなかったからである。私はIT関係などまったく未知の分野の文章も添削・指導したこともある。知識がなくても、文章を見れば、論理関係は何とか読み取ることができるし、それをたどっていけば、言いたいこともたいてい分かる。

ITに比べれば、このような人文関係はずっと私の分野に近いから大丈夫。そう思っていたら、現実は想像を軽く超えていた。難しげな単語が並べられ、高みから評論するスタイルになっているのだが、何を伝えたいのか、わざわざ書く意義はどこにあるのか、さっぱり分からない。本当は原文を一部引用して例証したいところだが、職務上の秘密なので、それはできない。しかし、ホントに驚いた!

依頼元も半ばあきらめていたらしく「頭の痛くなるような日本語を、そのまま頭の痛くなるような英語に置き換えてくれればいいのです」と言ってきたのだが、それでは意味不明になるばかり。幸い、ボカボが見つけた翻訳者たちは、何とか頑張って比較的まともな英語に訳してくれたようだが、その苦労は大変だったと思う。

「アメリカでは……」なんて、嫌味な言い方をして申し訳ないけど、少なくともシカゴ大学では、論文を書くスキルを徹底的に仕込む。何を書いても意味不明にならないように、根本から改造されるのだ。明瞭な文の書き方やつなぎ方、単語の選び方、段落の構成、文章全体の構造など、内容・表現に関わる一般的ルールがたたき込まれ、身につけたかどうか、何回もエッセイを書かされる。

大学の名誉に賭けても、学生が意味不明な論文を書くのだけは絶対に許さない。もちろん、その結果として、才能がない人は、文意明瞭だけど面白くないものを書いてしまうことにもなるのだが、少なくとも、曖昧な文章でこけおどしすることはできない。なぜなら、明瞭に書かれているので、アイディアのくだらなさは誤魔化しようがなくなるからだ。「お前の考えは凡庸だ」と容赦なく指摘できる。

上記の論文集は、そういう共有のプラットフォームがない。だから、考えたことを何の構造もなしに書き連ね、何を言いたいのか分からないままに、外国語の引用が始まり、その分析は繁雑を極め、中途で論理が途切れる。当然の事ながら、結論も曖昧。個性を発揮したつもりで結局「こけおどし」に陥る。

これは、日本の大学で「文章の書き方」が教えられず、文章力が大学入試レベルで止まるからかもしれない。そもそも高校の国語教員の圧倒的多数が、国文科・国語科出身。前者は文学の解釈と鑑賞だし、後者は言語のフィールドワーク。論理的な文章の書き方については方法論をまったく持っていないのだ。「論文ってどうやって教えたらいいか、分からないんです」と言う。そこで教員の方々に方法を教えると「ああ、入試小論文はこうすればいいのですか?」とすごく喜ぶ。

違う!

私の教えたのは、入試用の書き方ではない。たんに論理的文章の正統的で普遍的な書き方なのだ。小論文は、別に珍問・奇問じゃない。書き方のルールが分かっていて、それをきちんと適用でき、元のアイディアがマシなら、だいたいO.K。それが分からず「さすが予備校に関わっていた人は違う」と褒められても、嬉しくない。

論理的な文章に熟達するには、母語教育でやるべきだと思う。自分が一番得意な言語で、高度な操り方を学ぶ。文法も単語もあやふやなままでは、論理を通すなんて作業は出来っこない。ところが、日本では、高校レベル以降、母語を教える方法論が消滅して、文科系教育の主流が外国語に移る。結局のところ、言語のスキルというと、単語・文法などの初歩的レベルを繰り返すだけなのである。

日本が文化途上国であった時代は、それでもよかった。なぜなら、人文系は海外文化の輸入業であったからだ。誰にでも分かるように書くより、貴重品を有り難そうに示せれば足りた。だから、曖昧でも論理不明瞭でも許されたのだろう。その事情が変わって発信ムードになったのに、身についた癖はなかなか直らない。そういうことかもしれない。

少なくとも、ボカボでは、具体的方法を提示して、そのあたりを突破しようと頑張ってきた。神保町の教室に来る人たちは、皆論理を操ることを覚える。今度も、小論文Weekend Gymが終わったばかりだが、参加者たちは、かなり鋳型に慣れてきた。そうすると論点も明確になるので、思考が他人にも見えやすくなり、対話のキャッチボールが弾む。当然、議論も白熱する。そういうときの参加者の顔は、輝くばかりに楽しそうだ。「論理が大事だ」などと説教をたれるより、こういう場を作るのが大切だろう。

次回のReal講座は、恒例「夏のセミナー」。それと「夏のプチゼミ」。さらにWEB添削講座は続行中だし、遠隔地の方でどうしても講師と直接やり取りしたい人にはskype個別コーチングもある。自分に合った方法でスキルを身につける。それは自分を変えていく楽しい経験である。ぜひご参加ください。

2012年2月13日月曜日

パブリックとプライヴェートのはざま

この間、奇妙な体験をした。私は、高校時代の友人たちと、メーリング・リスト(というか、ただのCCメールね)でいろいろ他愛のない意見を述べ合って楽しんでいたのだが、私が一人の発言をちょっと批判したところ、そいつの逆鱗に触れたらしい。「批判するなら、ちゃんと名指ししてやれ。そうでないと反論する気にもならない」と激怒のメールが来た。どうやら、病後の彼を刺激しないようにと婉曲な書き方をしたのだが、かえって悪かったようだ。

言い過ぎたかなと息を潜め、数日たってふとフェイスブックをのぞいてみたら、その人が「今やっているメーリングリストの中に馬鹿が一人紛れ込んでいて、見なきゃ良いのについ読んでむかつく」と書き込んでいる。取り巻き連から「馬鹿は死ななきゃ治らない。気にするなよ」「そうだよー、気にするなよ」と口々にいわれて「ありがとう。ようやく気が収まりました」と。

一瞬、呆気にとられた。自分が友人と思っていた人間が、こんなネガティヴな感情をため込んでいたのか。文句があるなら、反論してくればいいのに……おそらく、彼は私を友達承認していたのを忘れていたのだろう。私が見られるのを忘れて、「友達」に向かって憤懣をぶちまけ、心の平安を得た。

「なぜ、彼はこんなヘマをやったのか?」への第一の答えはこれ。しかし、もう少し深く考えると、第二の答えは、メディアをパブリック/プライヴェートという二分法で捉えていたから。メーリング・リストという議論の場では強がりつつ、フェイスブックの「友達」には陰口や愚痴を言う。まるで会社と飲み屋を往復するサラリーマンみたいに。

もちろん、SNSではこんな二分法では上手く行かない。陰口はいつのまにか公開され、相手に伝わる。純粋に私的な場所などどこにもない。むしろ、こっちでちょっと個人的事情に触れ、あっちでそれを戯画化して落ち着き、向こうでは一般化して批評したり、メディアの種類によって自分は別々に社会化される。ツイッターの時の自分と、フェイスブックの自分、メールの自分、ブログの自分は、どれもいくらかはパブリックで、いくらかはプライヴェートで、それぞれのメディアで独特のキャラに染め上げられる。二分法どころか多重人格的生活を送っているのだ。

もしかしたら、内面と外面という分け方自体が、文字とナマ、あるいはfileとliveという旧来のメディア状況に規定されていたのかもしれない。本やTVに自分の意見が出るには、何十にもスクリーニングされ、日常の自分とは似ても似つかぬものになる。だから、そこに表せない自分が内面として分離される。精神の中で初めから存在していたのではない。むしろ、媒体に載る内容と載らない内容という形式で、外面と内面という虚構が事後的に作り出されたのである。

逆に、ネット時代では、fileとliveの垣根は劇的に低くなる。スクリーニングはかからないからだ。クリックすれば、秘めたる思いだって、あっという間に電子空間を駆けめぐる。では、すべてがパブリックになるのか?それはもちろん無理。かつての表現者は、公的な手段の中に私的な思いを紛れ込ませるために絶えざる努力をしていた。その工夫がスタイルと呼ばれたのだ。でも、そんな修練にすべての人が耐えられるわけはない。私と公の混合具合を間違えて、至るところで行き過ぎや不足が生まれる。

当然、醜態があちこちでさらされる。場が荒れたり炎上したり。もしかしたら、私もどこかで醜態をさらしているかも。フェイスブックで飲み屋での会話みたいにリラックスしちゃっているのでは? いやいや、私はそんな間抜けじゃない。でも、ツイッターではどうか?ブログではどうか?あるいは著書の中では……

私がしばらくブログを書かなくなったのも、このへんの距離感がよくわからなくなったからだ。ブログの要求するパブリック度は強い。荒野で孤独な預言者が呼ばわるというか。聞いている人の反応はよく分からないから、言葉は強くなる。そもそも聞いている人がいるかどうかすら分からない。いっそう言葉を重ね、それがかえって不安にかき立て、さらに説明を重ねる。そのうちに、前に書いた言葉に引きずられて、今の自分の感じが言えなくなる。何回書き直しても、ブログがよそよそしくなる。そんなことが続いた挙げ句、書くのが辛くなってしまったのだ。

かわって力を入れだしたのが、ツイッターだ。その時思いついたことを、パッと言葉にする。格言のようになったり、ジョークになったり。それを読んだ人からコメントが来る。自分の頭の中の考えに、直接反響があったみたいで何となく快感を覚える。あえて喩えるなら、連歌などの座の文学かな。相手がどう出てくるか分からない中で、自分を変えていく。それに対する相手の返事に反応して、また言葉を紡ぐ。ゲームのような楽しさがある。

もちろん、連歌と大きく異なるのは、メンバーが固定化していないことだ。自分の言葉を投げかける相手は見知らぬ人だ。座の文学というより、市場で呼ばわる人か? それとも伝言ゲームか? 予想もできぬツッコミに応えているうちに、内容は次第にずれていく。そのずれが最初の前提を吟味し、論点を深める。たまには、嫌みや批判満載のツッコミも出てくるが、それもご愛敬か。とりあえず、言葉は個人の中に退蔵されず、人から人へとオープンに経巡る。

昔、モロッコの有名なジャマ・エル・フナ広場で、薬売りを見たことがある。目の前の木のボウルに赤・青・黄・黒など極彩色の粉末を並べ、それを混ぜながら口上を言う。マグレブ訛りのアラビア語なので一言も分からないが、見物からもツッコミが出てくる。それをいなしたり反論したりしながら、巧みに話を続ける。薬が売れるか売れないかより、このやり取りを、皆市場の雰囲気として楽しむ。公共的な議論空間とは、むしろ、こういうオープンな感覚とつながっているように思う。

それに対して、フェイスブックでは……もう止めよう。いずれにしろ、メディアが多様化することによって、自我の前提は大きく変化した。おかげで、前には隠されていたことも可視化され、メディアの狭間で人間の見え方も変わっている。ただ、分析と思弁をいくら繰り返したところで、私自身が醜態から逃れられるわけではない。それより、それぞれのメディアで実践しつつ、そこで通用する「自分」をtry & errorしながら形成していくしかないのだ。

最近、私は仕事でskypeを使うことも多くなった。New YorkやSouth Asiaと直接顔を見ながら授業をする。なかなか快適なのだが、さて、その中の「私」はどういうスタイルにとっているのか?多重メディアの中の多重自分。おそらく、今子供時代を過ごしている人々は、そんな世界を屁とも思わないで生き抜いていくのだろうけどね。