2016年6月27日月曜日

判断の軸を立てるために

イギリスの国民投票でEU脱退が決まったとか、実質賃金を4%も低下させたアベノミクスを50%近くの人が支持しているとか、日本の大学のランキングがどんどん下がるとか、明るくない将来を示すニュースが充ちみちています。

情報が増えるとともに、状況理解も判断も難しくなっています。ある立場で決定しようとしても「そんな主張をする奴はおかしい!」とすぐに罵声が飛んできます。それを確かめようとしても、新しいデータや主張がどんどん出てきて、何だか分からない。結局、声を大きくしている人間の要求が通る(ような気がする)。

そういう「弱肉強食」的状況を反映してか、私のところにも「お前の本は、はじめて書く人間への配慮が足りない」とか、「真似すればすぐ合格する解答例を書け」とか、ひんぱんにお叱りが来る。こういうコメントは、自分はバカだ、と宣言するようなものので、本来なら恥ずかしくて言うのがはばかられた内容と思うのだけど…最近は堂々と書く人が増えてきました。

でも「本質をやさしく書く」ことは、それほどやさしいことではありません。なぜなら、大半の本質は一言でまとめるにはあまりに複雑で、だからこそ、それをやさしく語るのは至難の業だからです。

もちろん、学ぶ人の方もそれなりの準備が必要です。知識と方法論を整理し、問題に当てはめ、理論と現実をつなぐ論理を考え、表現規則にも配慮しながら、自分の考えを書く。そういう地道な作業をすっ飛ばして、結果だけを求めるような態度が強すぎる感じがします。

もし用意がない人に「やさしく語る」としたら「こんなに簡単なんだよ、他のことはもう気にかけなくて良い!」と「本質を曲げて」教えることになります。でも、これは邪道ですね。

そういえば、精神医学の本に、悩んでいた人が「あー、何だ、こんな簡単なことだったんだ。悩んでいたのがバカみたいだ!」と言い出したら、まず精神病の発症を疑うべきだ、という記述がありました。現代の人は、むしろ正気でいるより、手っ取り早い満足を望んで、精神病の発症を気にかけないかもしれませんね。

その意味で、現実を説明するために、簡単で分かりやすい理屈に頼りすぎてはいけないと思います。あくまでも問題に即して、その仕組みを解きほぐしつつ、何とか解決可能な形に持ち込む。その辛抱強い時間に耐えられる体力をつけなければなりません。

7月末から、ボカボでは「法科大学院小論文 夏のセミナー」と「慶應・難関大学小論文 夏のプチゼミ」の二つが開催されます。大学や大学院受験用の講座ですが、情報があふれる中で、どうやって「病」に陥らずに、自分なりの妥当な判断の軸を立てていけるか、追求する講座です。大学も、そういう軸を持っている学生なら、のどから手が出るほど欲しいのです。


今年も、じっくりと、しかし徹底的に文章の考え方と解き方をお伝えします! 乞うご期待!