オープニング・セレモニーの日が三日後に近づいた。出席者はざっと数えてみたら70人くらいで、大きな儀式ではない。ただ、この地域の慣習として、やらないではすまされない。あまり高くつかないことを祈る。
どうしても必要なのは、お坊さんの読経と闘鶏。とくに闘鶏は、お浄めとして欠かせない。土に血が流れなければ、bad spiritを押さえ込めないらしい。こちらの友人たちも、いろいろ踊ったり演奏したりしてくれる。仮面ダンスとかワヤンクリ(影絵芝居)とか、声をかけるとさっと集まってくる。お金なんかいらないよ、ぜひやらしてくれ、と言う。ありがたいことだと思う。
めったにない機会だと思うので、日本の友人たちにもいろいろと声をかけておいた。だけど「行ってはみたいけど余震が…」という人が多い。天災は一人一人心配していても、しようがないと思うのだが、やっぱり不安らしい。
その中でやってくる人もいる。職業もいろいろ。主婦、大学の先生、ビジネスマンなど。忙しいのに、無理して休みを取った人もいる。逆に、自由業で時間が取れるはずなのに、なかなか来れない人もいる。この違いは時間が取れるか取れないか、という環境の違いではない。
来た人たちに際だっているのは、個人の意思が明確にあることかな。たとえば、70代の女性は、娘から言われて、あまり外国に行ったことはないのに、急に来てみようという気持ちになってやってきた。地震とか放射能とか、オタオタ迷走する女性をたくさん見てきたので、彼女の決然たる行動力には驚く。「だって、東京にいると色々嫌なことが多いのですよ」
そういえば「外国に家を作る」と言ったら「仕事がなくなるぞ」と脅かされたことがある。「編集者との付き合いが減って依頼が来なくなる」そうだ。私は編集者とつきあって仕事をもらう形ではないと言ったら、「それでもやっぱりなくなるよ」と言い張る。「海外情報など書く内容を変えるんだな」ともう一人もよけいな口を挟む。
反論しても仕方がないと思ったので黙ってしまったが、こういうムラ的発想とは付き合いにくいな。出版界だとか言論界だとか、狭い世界の中でやりとりして、仕事をした気になっている。インターネットとか情報社会とか言っても、結局、基本は「顔を合わせる範囲」に交際は限られているのだね。その中で「仕事をやった」「もらった」という互恵関係を結ぶ。
だから、他人の意向をつねにうかがう姿勢ばかりが身につき、世間の空気にも敏感になる。「結局は、人から可愛がられるかどうかで決まるね」。嫌だなー、この同調圧力は。
今回の地震・原発騒ぎでも、出所の分からない「自粛ムード」が広まり、その趨勢に乗った「意見」を生産するという傾向が強い。知り合いに聞くと「震災後の何々」(何々には自分の専門分野が入る)という原稿を現在書いているよ、と自慢げに言う。「烏合の衆」というか「付和雷同」というか、そういう行動も自粛してもらいたいと思うのだが…
もちろん、私は「来なかった人たち」が皆こういうムードに流されているなどと言うつもりはない。それは明らかに言いすぎだ。親の介護をしているとか、病気になったとか、仕事が忙しい、とかそれぞれの事情は大変だ。しかし、それでも「来る人」は他人の都合より自分を優先させてやってくる。共同体と自分を切り離すやり方をどこかで知っているということなのかもしれない。
そもそも、共同体に貢献しても、最後は裏切られる。個人には寿命があり、貢献できる体力もやがて失われる。そのときに、共同体は個人の面倒を見てくれるか? 現在の日本の状態を見ていると、それは望み薄だ。むしろ、代替がきく人間は、さっさと捨てる。その方が社会にとってのコストは少ない。個人にできるのは、お金を貯めて自分で自分の面倒を見られる環境を作ることぐらいだ。それだって、ほとんどの人が十分実現できない。
そういえば「仕事がなくなるぞ」と言った人は、病気で倒れてリハビリ生活になった。企業戦士が病に倒れる構造のようで、何とも心が痛む。世間の基準に従って頑張るだけだと、個人の身体は確実に蝕まれる。どこかで切り離さないと、共同体の方を向いている間に、あっというまに自分の寿命が来てしまう。これは悲劇だ。
そういう意味で、今回来た人は、どの人もキャラクターがハッキリしていて、悲劇にはなりそうもない。周囲から何を言われようと、自分の興味関心は自分のモノ。地震や津波があろうが、それが何か? もちろんこういう人たちは、一人一人は同情心に溢れているし、礼儀正しい。きっと、地震・津波の被害者たちにも何か貢献しているのではないか、と思う。
でも、それと日本から離れるのは別。自分がこれから残された時間をどう生きたいか、それぞれが独自の思考をしている。先の70代女性も、東京郊外の農家の生まれで、そのときの暮らしぶりをここにも見たらしい。「戦争までは、お神楽を皆で練習したり、お寺の祭礼に一生懸命になったり、こことまったく同じでした。それが戦争に負けてから、外から人が入ってきたり、昔からの人が出て行ったり、で、こういう生活がなくなっちゃったんです。昔の日本そのままですよね」と懐かしがる。
彼女のイメージが、どれだけ正しいか私は分からない。しかし、ここに来ることで自分のルーツに気づき、もう一度その幸福の原点に戻りたいと感じる。その願いは理解できるし、ぜひ実現して欲しいと思う。地震・津波・原子力などという世間を浮遊する話題とは別に、自分の生き方をどうするか、どう実現するか、という話は確実に存在する。世間との間を往還しつつも、そこに気づき、しっかり自分にフォーカスしている。それが今回やってきた人の特徴かもしれない。
どうしても必要なのは、お坊さんの読経と闘鶏。とくに闘鶏は、お浄めとして欠かせない。土に血が流れなければ、bad spiritを押さえ込めないらしい。こちらの友人たちも、いろいろ踊ったり演奏したりしてくれる。仮面ダンスとかワヤンクリ(影絵芝居)とか、声をかけるとさっと集まってくる。お金なんかいらないよ、ぜひやらしてくれ、と言う。ありがたいことだと思う。
めったにない機会だと思うので、日本の友人たちにもいろいろと声をかけておいた。だけど「行ってはみたいけど余震が…」という人が多い。天災は一人一人心配していても、しようがないと思うのだが、やっぱり不安らしい。
その中でやってくる人もいる。職業もいろいろ。主婦、大学の先生、ビジネスマンなど。忙しいのに、無理して休みを取った人もいる。逆に、自由業で時間が取れるはずなのに、なかなか来れない人もいる。この違いは時間が取れるか取れないか、という環境の違いではない。
来た人たちに際だっているのは、個人の意思が明確にあることかな。たとえば、70代の女性は、娘から言われて、あまり外国に行ったことはないのに、急に来てみようという気持ちになってやってきた。地震とか放射能とか、オタオタ迷走する女性をたくさん見てきたので、彼女の決然たる行動力には驚く。「だって、東京にいると色々嫌なことが多いのですよ」
そういえば「外国に家を作る」と言ったら「仕事がなくなるぞ」と脅かされたことがある。「編集者との付き合いが減って依頼が来なくなる」そうだ。私は編集者とつきあって仕事をもらう形ではないと言ったら、「それでもやっぱりなくなるよ」と言い張る。「海外情報など書く内容を変えるんだな」ともう一人もよけいな口を挟む。
反論しても仕方がないと思ったので黙ってしまったが、こういうムラ的発想とは付き合いにくいな。出版界だとか言論界だとか、狭い世界の中でやりとりして、仕事をした気になっている。インターネットとか情報社会とか言っても、結局、基本は「顔を合わせる範囲」に交際は限られているのだね。その中で「仕事をやった」「もらった」という互恵関係を結ぶ。
だから、他人の意向をつねにうかがう姿勢ばかりが身につき、世間の空気にも敏感になる。「結局は、人から可愛がられるかどうかで決まるね」。嫌だなー、この同調圧力は。
今回の地震・原発騒ぎでも、出所の分からない「自粛ムード」が広まり、その趨勢に乗った「意見」を生産するという傾向が強い。知り合いに聞くと「震災後の何々」(何々には自分の専門分野が入る)という原稿を現在書いているよ、と自慢げに言う。「烏合の衆」というか「付和雷同」というか、そういう行動も自粛してもらいたいと思うのだが…
もちろん、私は「来なかった人たち」が皆こういうムードに流されているなどと言うつもりはない。それは明らかに言いすぎだ。親の介護をしているとか、病気になったとか、仕事が忙しい、とかそれぞれの事情は大変だ。しかし、それでも「来る人」は他人の都合より自分を優先させてやってくる。共同体と自分を切り離すやり方をどこかで知っているということなのかもしれない。
そもそも、共同体に貢献しても、最後は裏切られる。個人には寿命があり、貢献できる体力もやがて失われる。そのときに、共同体は個人の面倒を見てくれるか? 現在の日本の状態を見ていると、それは望み薄だ。むしろ、代替がきく人間は、さっさと捨てる。その方が社会にとってのコストは少ない。個人にできるのは、お金を貯めて自分で自分の面倒を見られる環境を作ることぐらいだ。それだって、ほとんどの人が十分実現できない。
そういえば「仕事がなくなるぞ」と言った人は、病気で倒れてリハビリ生活になった。企業戦士が病に倒れる構造のようで、何とも心が痛む。世間の基準に従って頑張るだけだと、個人の身体は確実に蝕まれる。どこかで切り離さないと、共同体の方を向いている間に、あっというまに自分の寿命が来てしまう。これは悲劇だ。
そういう意味で、今回来た人は、どの人もキャラクターがハッキリしていて、悲劇にはなりそうもない。周囲から何を言われようと、自分の興味関心は自分のモノ。地震や津波があろうが、それが何か? もちろんこういう人たちは、一人一人は同情心に溢れているし、礼儀正しい。きっと、地震・津波の被害者たちにも何か貢献しているのではないか、と思う。
でも、それと日本から離れるのは別。自分がこれから残された時間をどう生きたいか、それぞれが独自の思考をしている。先の70代女性も、東京郊外の農家の生まれで、そのときの暮らしぶりをここにも見たらしい。「戦争までは、お神楽を皆で練習したり、お寺の祭礼に一生懸命になったり、こことまったく同じでした。それが戦争に負けてから、外から人が入ってきたり、昔からの人が出て行ったり、で、こういう生活がなくなっちゃったんです。昔の日本そのままですよね」と懐かしがる。
彼女のイメージが、どれだけ正しいか私は分からない。しかし、ここに来ることで自分のルーツに気づき、もう一度その幸福の原点に戻りたいと感じる。その願いは理解できるし、ぜひ実現して欲しいと思う。地震・津波・原子力などという世間を浮遊する話題とは別に、自分の生き方をどうするか、どう実現するか、という話は確実に存在する。世間との間を往還しつつも、そこに気づき、しっかり自分にフォーカスしている。それが今回やってきた人の特徴かもしれない。
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