2012年7月11日水曜日

Independentに生きるということ


先週の木曜日に、河合塾池袋校の教養講座(エンリッチ講座)で話をした。演題は「Independentに生きるということ」。実は、私は一度も「正式な就職」をしたことがない。いつも非正規労働者。フリーターとかニートとか言うが、私は35年間ずっとフリーを通してきた。

その私の「半生」(ああ、私も年を取った…)を語るという企画なのだ。こんなものに、大学を目指す若い人たちが興味を持つのかと、はじめは半信半疑。企画を立ててくれたH先生もY先生も「聴講者が全然来ない」という夢を見たとか。

ところが、蓋を開けてみると何と170人もの人が聞きに来て立ち見も出た。終わってからの講師室での質問タイムでも、ひっきりなしに人が現れ、気がついたら90分間質問に答えていたというていたらく。
いったい何でこれほど若い人が熱心なのか? 

地方の高校の先生と話すると、「いい仕事」のイメージが限られている、と嘆く。文科系なら弁護士、公務員、理科系なら医者ぐらい。「その結果なのか、県庁所在地には100mごとに医院が並んでいるんです」という情けない状況になるらしい。

とはいえ、学校の先生にもそれ以外の「職業イメージ」が見えているわけではない。むしろ、先生たちは「学校」という既知の世界に留まった人々だ。もちろん、事情は親も一緒。河合塾の場合だと「銀行」「大企業」に勤め、教育熱心。だから、子供に与えるアドバイスも「大企業」に勤めろとか「資格を取れ」とかばかり。

それでうまく行く人は良いのだが、そういうイメージでいると、たいていは思い悩む。「自分は何のために大学に行くのかしら?」と。なぜなら、社会状況が、親の頃と大きく変わっているのは、若者たちにも感じられるからだ。

たとえば、「大企業」は実質的に「40歳定年制」を取っている。私と同年齢で、最初に入った企業に居続けている人はほとんどいない。たいていは「出向」という名前で飛ばされ、収入も1/3に減る。「資格」だって盤石ではない。しばらく前は経済系テッパンの職だと言われた「公認会計士」がリストラされている。「医者」も医療過誤で訴えられ、あるいは働き過ぎで体をこわす。どれも「何だかな」的状態なのである。

「自分探しなんかやめろ」と自己啓発本の著者たちは言う。「どんなところでも入ってみれば、それなりにいいところも、熱心になれることもあるんだ」。そのアドバイスは一面では正しい。でも、それを信じて入ったところが「ブラック企業」で、朝6時から夜中の2時まで働かせられるとしたら?

何をしてもいいことはない。そんなわけで、若い人たちの気分がサイテーなのはよく分かる。

「お前、学校出たらどうする?」
「分っかんねーよ、お前は?」
「うーん、とりあえず就職かな?」
「就職してどーすんだ?」
「結婚して、子供を作って…」
「子育てして、学校に入れて、塾に通わせて…」
「結婚させて、子供が出来たら、年金暮らしで孫の面倒見てさ」
「そのうちに病気になって、死んでいく」
「…人生だなー」
「…人生だなー」

日本で出会えるのは、組織に従って「うまく生き延びてきた」というずるさの体現者ばかり。そんなサバイバル人生は、どこか情けない。「それが現実さ!」と肩をすくめられても、若い人たちが未来に希望は持てないのは当然かも知れない。

それなのに、好き勝手に生きて、とりあえず飢え死にもしないで済んでいるらしい人間がここにいる。…動物園の珍獣を見るように群がってきたのも無理ないのかも知れない。質問を浴びせ、自分もこういう決まり切ったトラックから逃げ出すための手がかりを得ようとする

そういえば、私が、かつて出会ったような人々は皆ヘンで魅力的だった。オランダからバリまで車で来て、道ばたの屋台で見かけた料理のうまい女の子を見初めて、島一番のレストランを作った若者(今はジジイ)とか、バブル期に大借金を背負って外国に逃げてきて、巻き返して「アジアのガラス王」になった工芸家とか、ロシアからインドに流れてきてダライラマの弟子になり、チベット人に仏教絵画を教えている画家とか―バカバカしくも激しい情熱。

こういう火事場の馬鹿力的なエネルギーが、今の乱世に求められるのだろう。「ゆとり教育」だって「生きる力」だって「小論文」だって、本当はそういうエネルギーをどうやって見つけようか、という試みだった。それが、いつの間にか、教育には「既知のトラック」を黙々と走るランナーのようなイメージしか供給されなくなった。

若者たちは「成功」を必ずしも求めていない。むしろ、彼らがあこがれるのは「一回だけの充実した人生」だ。自分が「今はこれが面白い!」という直観に従って生きること。自分でよいと思ったことを求めて、その結果なら甘受してもいいと思う。…のではないか?<

もちろん皆「面白い人生」にはそれなりのリスクがあることも意識している。一人の女の子は「先生みたいな破天荒な生き方をしたいけど、女の子にはリスクありますよね?」。そりゃそうだと思う。妊娠・出産・子育て、いったんそのサイクルに入ったら、もう待ったなしだ。

だが、リスク回避のために「面白くない人生」を送るのだとしたら、どちらがリスクか? 私の場合は、大学を出てから、演劇にはまり、ラジオの台本も書き、ゴーストライターもやり、海外を放浪し、破天荒な人に出会った(私自身は常識人である…)。そのおかげで、貧乏暮らしも経験したが、それも、いつか書いて元を取ろうと思っている。

こういう楽天性が、フリーランスを通してきた基盤にあるのかもしれない。「根拠なき自信」「痛い人」「はた迷惑な人」私が何を裏で言われていたかは、だいたい見当が付く。でも、そういうところがないと、フリーランスというちょっぴり無謀な生き方はやっていけないのかも。

当日のポスター文面は以下の通りである。

「日本では、今若い人たちの間で会社への「就職」が大きな関心の的になっています。私は「物書き」をやっていますが、所謂「就職」は一度もしたことがありません。いろいろ仕事はしましたが、いつもパート・アルバイト扱い。いわば、非正規雇用のハシリです。

なぜ、こんな生き方を選んだか? それは、組織の命令に従って、納得がいかないことをしたくなかったからです。お金は大切だけど、生活のために妥協はしない。「これならやる意味がある」という直観を信じる。そのために、ずいぶん遠回りをしたけど、無駄にはなりませんでした。自分なりの見方も持てたし、真似をしないで仕事する流儀もできた。

美術でも文学でも作品を作る人はすべて「作家」です。どんな「作品」でも需要してもらうには、他人にはない「自分だけの意義」が必要です。とくに、他人が注目せず、まだ開発されてない、かつ自分が興味を持てて努力できる。そういうバランスを見つけて「自分だけのスタイル」にする。その結果、往々にして世の流行に逆らう。

Independentに生きるとは、そういう状況で不安にならないで生きることです。ときには「根拠のない自信」も必要になる。初めから業績がある人なんて誰もいない。まだ十分作れていなくてもvisionへのこだわりが必要です。周囲から見ると「痛い人」であるかもしれない。でも、それしか「自分のスタイル」を作る方法はない。

私の体験を、失敗も交えつつお話しする中から、大企業に勤めたり公務員になったり、とは違った生き方や仕事のモデルがあることをお話しできたら、と思います。そういうIndependentなやり方が、これからの主流になると信じて。」

どういうメッセージが実際伝わったか、20年後が楽しみである。

さて、ボカボではReal School 法科大学院 小論文 夏のセミナー」と「慶應・難関大 小論文 夏のブチゼミ」がもうすぐ始まる。これらの講座は、受験技術の伝授ではない。むしろ、思考のエネルギーをどうやって振り絞るか、その訓練の場だ。既知をなぞるのではなく、未知の問題を解くパワーと自信を得る。ボカボはいつもそういう場所でありたい。