2025年7月10日木曜日

ハビトゥスということ

この頃、ハビトゥスという言葉をよく考えます。ハビトゥスとはラテン語のハベーレ(持つ、英語のhave)の完了分詞で受動の意味を持ちます。だから、意味は「持たされたもの」とか「身についたもの」で「習慣」とか「慣習」という意味になります。言わば、いつもやっていることで、やることが習慣化したもの。

語学の勉強なんかそうですね。少しで良いので、毎日毎日少しずつ学んでいく。それが積み重なって、一年あるいは数年たつと何となく進歩が分かるようになる。むしろ難しいのは、変化がゆっくりなので、日々の進歩が実感できないのに、たゆまず続けていく、という動機をどうやって持ったら良いのか、ということです。

よく「強い意志を持つ」と言いますが、「意志」はあまり信用できない。そもそも何かしようとい意志をどうやって持ったら良いのか? 意志で何かしようとい意志が持てたとして、何かしようとい意志を持とうとする意志をどうやって持ったらいいのか? さらに何かしようとい意志を持とうとする意志を持とうとする意志を…これではどこまで行っても最初が見つけられません。

経験的に言うと、人間の行動なんて、意志を持つぐらいでどうにかなるものではない。むしろ、自分を騙して気分が乗るような工夫をする必要がある。それをどうやって見つけたらいいか?

一番良いのは、外部に「学びに誘導する環境」を用意することにあります。気分が乗ろうが乗るまいが、とにかくやらなければならない。自分では、そこに参加しようという最小限の意志さえ持てば良い。やることはほんの少しで簡単にする。後は、周囲がいろいろ提供してくれることに乗れば、その内、自然に気分が乗ってくる。それが連続してくれば、勉強がハビトゥス化するわけです。

この頃の語学勉強アプリなどでは、その辺りが上手く出来ています。たとえばDuoLingoなどというアプリは、毎日「今日もやろうね」とメッセージを送ってくる。「しようがないな、やるか」と練習を始めて五分ほどやっているとすぐ一生懸命になっている自分に気づきます。人間の気分なんか当てにならないものだな、と実感します。

あるいは、健康管理アプリでは、一日の歩行数を設定して、それが達成されたかどうか、知らせてくれる。時々「よくやったね」と銀色のバッジをくれます。バッジに何の価値があるわけでもないけど、それを目安として、明日も歩こうかな、という気になります。時々の達成感をかたちにしてくれることに意義があるわけです。

8月初めから、ボカボでは恒例の「2025法科大学院小論文 夏のセミナー」が始まります。ただ、今年はトランプ政権がムチャをやるせいで民心不安定なためか、何となく出足が鈍い。私のかつての予備校時代の同僚も、今年から仕事を離れたという人も多いようでした。私の教え子で予備校講師になった若い人でさえ、今年から大学受験指導は止めて、他の国家試験対策に転身すると言います。「いったい、受験生はどこに行ってしまったのだろう?」と言っています。

若い人々のライフコースに大きな変化が生じている気がします。かつてなら「日本の大学受験は第二の誕生」などと教育社会学のテーゼがあったのですが、決定的な性格は薄くなったように思います。むしろ、大学院とか生涯教育とか、様々な転轍のチャンスがずっと続いていく、構造になっている。だから、勉強も、あるとき集中してやるのではなく、さまざまな機会を捉えて、つねに自分をプラッシュアップする形になりつつあります。

このあり方では、なかなか集中して勉強できない、という悩みが大きくなります。集中しようとしても思うとおり行かない。その内、トランプがまた変な政策を打ち出す。こんなに世界がメチャクチャなのに「はたして勉強など続ける意味があるのか」と悩むのも無理からぬことかもしれません。

これでは、なかなか勉強は始められない。いくら、本を読もうと思っても、その気力が出ない。こういう場合は、とにかく進められるように環境から変えることが大切です。「夏のセミナー」では、否が応でも10回程度の提出をしなければなりません。とりあえず目の前の課題に取り組んでみる。すると、自然に色々なことを考える。その過程自体が勉強になっているのです。

書いた文章も「ここがダメ」「ここがよく書けている」と明確な評価となって返ってくる。その評価に納得するかどうか、は別問題ですが、客観的な評価はこういうものだ、ということを見せられることで、自分の書いた手応えが分かる。それが「夏のセミナー」のもたらす経験です。

毎回、このセミナーの受講者から、有名法科大学院への合格者が出ているのも、こういうハビトゥスを作るシステムになっているからだと思っています。法科大学院を目指す方、ぜひ来てみて下さい。きっと得るところが多いと思います。




2025年6月1日日曜日

「2025夏のセミナー」に向けて

この間、2025年が始まったと思ったら5月ももう終わり。一年の半分過ぎ去ったと思うと呆然としますが、紫陽花は今年一層美しく見えます。

今年、世界はアメリカ大統領が「相互関税」や「大学への制裁」をやり出したおかげで大混乱しました。製造業衰退で困窮した大衆が支持しているようですが、残念ながら「関税」や「大学制裁」で、この問題の解決はできないと思われます。なぜなら、アメリカの製造業衰退は資本主義経済の必然的発展だからです。

製造業が発展すると、賃金とともに製品価格も高くなるので、競争力がなくなります。だから、製造業は賃金の安い外国に出て、そこで生産する。国内では経営や開発が主になり、そのスキルがある人、つまり学歴が高く専門技能がある人々への需要が高くなる。一方で、海外でもできる作業の労働者には仕事がなくなる。残るのは、生活の小さな用事をその場その場で解決する「エッセンシャルワーカー」ばかり。

この「発展」のプロセスを政治で変えるわけにはいかない。一時的には、影響を与えたようでも、今の資本主義を続ける限り、この傾向は止まらないからです。トランプも、今のところ、ことごとく失敗し、ウォール街ではすでにTACO=Trump Always Chickens Out(トランプはいつも怖じ気づく).という言葉が流行しているとか。

経済法則を無視しているなら、この結果は当然です。ウクライナ紛争も「三日で解決できる」と言いながら、平和を実現できない。無理なことは、いくら強権をかざしても出来ないのです。

そういえば、アメリカは過去にも同様な失敗をしています。「禁酒法」では、酒の販売を禁止して、社会に平和と繁栄をもたらそうとした。でも反対に、法律を破っても利益を上げようとするマフィアたちが大もうけし、彼らの抗争が激化して、社会の安全も危険にさらされました。

社会を変えるには、原因に働きかけねばならないのですが、その手間を省いて強権でコントロールしようとすると事態は悪化する。社会を変えるには、社会の原理を理解し、そのメカニズムに沿って辛抱強く働きかけていかねばなりません。現在の米国大統領は、それを理解することができないようですが、こういう蛮勇にしか、もはや期待できなくなるほど、アメリカ社会は絶望的なのかもしれません。

しかし、どんな権力者も無力であるという事態は、我々にとって逆に朗報かも知れません。権力を持たなくても出来ることがあるからです。まず、すべきは社会のメカニズムを理解すること。次に、何処に働きかけるべきか、を判断すること。最後に辛抱強くやり続けること。

法曹になる、というのも、その世界理解のための第一歩かもしれません。社会のあり方を知って、どこに働きかければ、どういう結果が出て来るか予想する能力を持って、そこに働きかける。トランプもその支持者たる大衆も、メカニズムが分からないのに、やたらと命令・脅迫でことを動かそうとする。しかし、社会が動くとは、自分がすべてに目を光らしてなくても、他の人が進んでやるようなメカニズムを作ることです。

法律というと、裁判とか判決とかを考える人が多いと思いますが、私が、かつて医療裁判の事例で習ったのは、裁判に持ち込まれる時点で、医療側患者側の当事者双方にとって「敗北」だということでした。

無益な「対決」にならないようにするのが、法律の専門家としての重要な役割なのだそうです。むやみに「対決」を否定しないが、たんなる「対決」に終わらないように知恵を絞る。そのためには、過去の「対決」のメカニズムを深く理解し、それを現実に起こる事例の参考にして考え抜くことでしょう。

今年もボカボでは、法科大学院小論文 夏のセミナーが行われます。この講義と演習が、上記のような意味で、参加者の社会と秩序に対する考えとセンスを深める契機になれば、開催者とすれば、これに過ぎる仕合わせはありません。夏の暑い時期ですが、一緒に頑張っていきましょう!




 

2025年2月17日月曜日

グローバル化と教育

10日ほど前から、インドネシア・バリ島の自宅に来て、原稿三昧の日々を送っています。某出版社から出している問題集が好評なので、今年は改訂版を出したいというのです。日本だと、執筆中さまざまな雑用が出て来るのですが、慣れた環境からったん遮断されると集中しやすくなるのです。

このような仕事の形態を始めたのは、今から15年前で、インターネットが充実し始めたころでした。家は、近くの村から1km以上離れているのですが、そこから電話線を引っ張って、この地域でも初めてネットが使えるようにしたのです。

電柱もなく、電話線は木に這わせたり、田んぼのあぜ道に竹をに刺したり、むちゃくちゃな突貫工事でした。おかげで、雨が降るごとに線が切れて、工事の人を呼ぶ羽目になりました。ネットが通じるまでの数時間、じりじりしながら待っている感じは今でも鮮明に覚えています。

そんな状況が変わり始めたのは、ここ数年です。光ケーブルが島内に完備され、インターネットの速度も爆増しになって、今ではZoomも使えます。

昨日も、バリ在住の日本人声楽家と話したのですが、彼は音大受験生をZoomで教えているそうです。最近だと、むしろ対面の方が少ないのだとか。受験直前に「次回は受験直前なので、対面でやろうか。ちょうどその時なら日本にいるし」と言うとビックリされるのだとか。

場所や空間の縛りなしに仕事ができる状態の方が普通になり、私の教えている人も、沖縄とテキサスと東京と長野と、という風に居場所さまざま。どこにいても、日時を合わせて、教えたり打ち合わせしたり、という感じになりました。

世界中の人々と瞬時に繋がるので、教育で残っている問題と言えば、何を学ぶべきか、という判断力と、どんな人と繋がるか、という情報力と、粘り強く学びを続ける持続力にかかってくるようになりました。どこにいても、正しい人々とつながり、しつかりした教えを受け、着実に練習すれば、一年後には結果が大きく違う。ある意味、怖い時代になったな、と思います。

ボカボでも、3月1日から「小論文セミナー」Weekend Gymを始めます。これは、大学・大学院受験・転職の志望理由など、論理的な文章を書きたい方々のために、基礎から書き方を練習する講座です。大学院などの試験は、夏から秋にかけてでしょうが、小論文を書く力は比較的ゆっくりと向上します。早めに始めて、今の自分にどこが足りないか、自覚することがまず大切です。そうなって始めて、努力目標も効果的な学習法も見えてくるものです。

世界中の人々とフラットに競い合う状況は、人間が初めて経験する状況かもしれません。しかし、そんな世界の中で力を得るための方法は、2000年以上も前から変わっていません。学び、経験し、自分のものとする、というだけです。Weekend Gymを、その力を磨く最初のきっかけにしていただければ幸いです。皆様のご参加をお待ちしています。

2025年1月9日木曜日

激動の年に向けてのご挨拶

 2025年あけましておめでとうございます!

世界も日本も激動が続いています。しかも、その進行は破滅的で、安易な希望を持ちにくい時代のように見えます。

実際、日本の状況はかなりまずい。少子化はますます進み、ここ数年で毎年の出生数は30%も落ちました。かつて、医療事故を恐れて医者が現場を去る「立ち去り型サボタージュ」が行われたように、子どもを生むこと自体がリスクと考えられるようになっているのかもしれません。

経済も30年も成長はできず、かつて60%もあった国内消費は50%に落ち込みました。韓国などと違って日本は内需の国」と言われたのに、今では国内を不景気にしてでも、輸出を振興する「飢餓輸出」に陥っています。活性化のため「インバウンド」も期待されていますが、観光が経済に占める割合は1%にもないのに、それ以外の希望がない。「ものづくり」なんて言葉もすでに死語と化して、日本は「微笑みとゴミの国」と化しています。

日本を取り巻く状況も予断を許しません。トランプ次期米大統領は、カナダを併合し、グリーンランドを買い取り、パナマ運河をアメリカのものにすると言い出しました。拒否する場合は軍事行動に訴えるらしい。

これは19世紀の「棍棒外交」です。そもそも、なぜ米国領にすべきか、という正当化もなく、ただ「きっとこれらの地域の人々もアメリカになると嬉しいはずだ」と言い、それにおもねったFOXのキャスターは「カナダ人は併合を望まないけど、我々の帝国主義的心情を満足させねばならない」とコメントしました。その野蛮さは、歴史が150年ほど後戻りして、19世紀の「棍棒外交」が復活したかのようです。

きっと、今年は、あちこちで戦争・紛争が起こり、中東では限定的核戦争が始まるでしょう。それどころか、米国中西部と東部・太平洋側西部との間で内戦になる、という専門家さえいます。妙な妄想のおかげで「地球最後の日」になるのは避けたいですが、今のところ、我々は直接どうにもできません。

こんな中、個人でできるのは、少しでも体力と智力をつけて、このむちゃくちゃな流れに、少しでも「棹さして」自分たちの安心できる居場所を確保することでしょう。

「学歴/教育なんか何の役にも立たない」などという言説が、世の中には溢れていますが、現実が激動し、あらゆる人が他の人を騙しても利益を得ようとするからこそ、自分たちの進むべき方向を間違いなく見通すためには、思考力と論理力と知識力の徹底的な養成が必要です。

子どもたちに「何のために勉強するの?」と言われた時には「世の中には、あなたたちを騙して金品を巻き上げようとする人たちがたくさん居る。彼らの甘い言葉に乗せられないように、自分の知識と判断力を高めなければならないからだよ」というと、一生懸命勉強し始めるとか。

ただし、これらの能力は教師から教えられたことを記憶するだけでは身につきません。教えられたことを元に、さまざまな状況に応用して、自分で仮説を考えて、その見通しを持って決断する。他人から言われたことをそのまま鵜呑みにせず、自分で考える。そんな訓練を積み重ねなければなりません。

日本の人は従順なので、初等教育などで教えられたことを記憶するのは得意ですが、高等教育で求められる、自分で考えて妥当な見解を導き出すことは比較的苦手と言われています。ボカボは、専門領域に拘らず、この能力を涵養することを目指して設立しましたし、その役目は20年以上にわたってずっと果たしてきています。

その成果は、歴代の「合格者再現答案」でも見る事が出来ます。年末にかけて、一時期、リンクが外れていたときもありましたが、復活させましたので、ぜひご覧下さい。

今年も、はや法科大学院やMBA、あるいは医学系・心理系などの大学院や大学を目指す人々が集まり始めています。これから、どんな方々がボカボに集まり、ボカボの助力を得て、どのくらい、それぞれの力を伸ばしていけるのか、我々もその成長をイメージしてドキドキしています。

今年も、よろしくお願いいたします!

2024年5月29日水曜日

夏の講座に向かって―学習の流れを整理すると

そろそろ五月も終わりです。ついこの間「正月になった」と思っていたのに、相変わらず時の歩みは早いものですね。

vocabowは、四月のWeekend Gymの後、しばらくクラスをお休みして、六月に出版する『ややこしい本を読む技術』(草思社)と『基礎からわかるジャンプアップノート 記述力養成・小論文 改訂(旺文社)の作業に注力していました。幸いにして、両者ともほぼ作業が終わり、後は出版を待つばかりになりました。

これから、vocabowは、恒例の夏のクラスに向かって体制を整えていこうと思います。

夏は「法科大学院小論文 夏のセミナー」を毎週土日午後に「慶應・難関大小論文 夏のプチゼミ」を金曜日夜に行います。

現在司法予備校では未修コースの対策はやっていないので未修で受けたい」という方はvocabowに来ていただければと思います。最近は予備校の方でも「未修ならvocabowはどう?」とアドバイスするようになっています。

だから、法科大学院を未修で受験しようという人は「夏のセミナー」参加は必須とお考えください。とくに、早稲田・慶應など9月早々に試験がある人は参加を強くお薦めします。

今までの経験から言うと、小論文の力を伸ばすには、10回以上の添削を受けることが必要です。これは、その人の文章経験と関係がありません。今まで文章を書くことを積み重ねてきた人も、今の段階からさらにステップアップしようと思うと、それぐらいの添削経験が必要になるのです。

今まで新聞記者の方医師の方も参加してくれましたが、文章を書くのに慣れているはずなの彼らも現在のレベルから飛躍しようとすると同じくらいの時間がかかります。一週に一回の提出となると10週間。約二ヶ月半ほど。「夏のセミナー」では、土日を週間連続で行うことで、この最低限の回数を確保します。

vocabowでは個別対応の法科大学院コースもあるのに、なぜ「夏のセミナー」クラスへの参加をとくにお薦めするのか? それは、他の人の答案が見られることが大きいのです。

個別指導だと、自分の答案とvocabowの作った答案例しか見られません。両者はレベルが大きく違います。あまりにも違いが大きいので、対比効果で自分の答案がすべて良くないように思え、今回はどこまで出来たのか、どこが出来なかったのか、という進歩状況が冷静に捉えにくいのです。

それに対して、夏のクラスだと、参加者のレベルは違っても、その差は僅かです。だから、自分よりちょっとだけ良いものもよく分かるし、逆に、ちょっとだけ良くない答案も自分のと引き比べて、その加減が実感できます。その結果、小論文の出来を客観的に評価する力が養われるわけです。

もし可能なら、「夏のセミナー」の前に、個別指導も受講していただければ、と思います。添削の最初の5回はたくさん直されるのですが、その時は無我夢中でなぜ直されたのか、よく分からないものです。その最初の5回が済んでいれば、「夏のセミナー」でも、解法は同様でも、問題自体は違うものを使うので、振り返りが可能になり、何がいけなかったのか、より余裕を持って感じられ、受講効果が大きくなるはずです。

いずれにせよ、夏はもうすぐ。以上の流れを参考にして、早めに計画を立てて勉強に励んでください。