法科大学院の受験は、今年も低迷したらしい。「司法試験で受かるかどうか分からないのに、何百万も払うなんてリスクが多すぎる」とか「もう法科大学院構想は破綻した」とかいう言い方がネットやマスメディアを賑わしている。
まあ、そういう言い方には一理ある。次々と法科大学院の募集停止が始まり、ついに今年は新潟大学法科大学院まで募集を停止した。「これからは予備試験だー」と一気に予備試験受験者数が増えたのも当然だ。
だが、こういう事態は設立当初から予想されていた。「法科大学院を作らなければ、法学部は消滅する」と言われて、法科大学院は乱立した。修了予定人数が、司法試験の合格予定数より多すぎる。最初から「数年たったら学校の淘汰が始まるはずだ」という見方が多かった。その淘汰が二、三年前から始まって、そのショックは小さくないが「当初の想定の範囲内」という言い方もできる。
ボカボでは、今年も「法科大学院」未修者向けの講座を開く。もともと、未修者は司法予備校の守備範囲ではないらしく「未修をねらうのでしたら、ボカボに行ったら?」とI塾とかT研究所のスタッフが勧めていた。そういうボカボへの需要があるので、今年も一定の受講者がいる、と見込んだからだ。
しかし、それ以上に「今年も開講しよう」と思ったのは、世の浅薄な風潮に腹が立ったからだ。「〜が有利だ」と聞けば、一挙にそちらに雪崩打つ。数年前は、それが法科大学院であり、今度は予備試験になったにすぎない。
上昇志向が悪いというのではない。誰だって社会的に上昇はしたい。野心はいつだって努力の源だ。ただ、世の風潮に乗りさえすれば上昇できる、世間で有利だとされる方向に行けば、自分もいい思いができる、という思い込みが浅薄なのだ。
株や為替もそうだが、上がったものは下がるし、下がったものは必然的に上がる。今、有利とされないものが、数年後に有利になる。そういうものだ。就職だって、そのときの花形産業をねらうと失敗する。そのときの花形産業なんて、二十年後は衰退産業に決まっている。1960年代の時点で繊維産業に入った人は、その後どうなっただろう? それだけのことが分かっているのに、相も変わらず、皆「そのときの花形」に注目するのは情けない。
そういう意味から言えば、今、法科大学院はチャンスだと思う。期待値が下がると同時に、倍率が下がっており、有名校に楽に入れる。有名校に入れば、学歴が身につくとともに、司法試験対策も短期間でできる。いくら「司法試験合格率が低い」と言っても、法科大学院以前の合格率に比べたら、20%はまだまだ驚異的な高確率だ。
金がかかるというが、奨学金制度は、少なくとも他の大学院に比べたら、ずっと恵まれている。それなりの成績を取っていれば、申請すれば通るという。そもそも教育に投資しないでリターンだけを得ようというのは、虫が良すぎやしないか?
適性試験の点数が悪くて、と悩んでいる人もいるだろう。だが、それは小論文で挽回ができる。世の人は「小論文なんて誰が書いても同じだ」とか「所詮、知識量だね」などと言う。しかし、それは完全な間違いだ。
小論文には書き方のパターンがあり、それを身につければ評価はぐっと上がる。書き方は、もちろん随筆や新聞コラムの書き方とは違う。「文章を書くのが得意だ」という人でも、訓練を受けないと書けないし、逆に訓練を受ければ、かなりのレベルで書けるようになる。
そういう事例は、ボカボに山のようにある。大学受験で失敗し、地方でくすぶっていた若者が、一念発起してボカボに通い、有名大学院に入り、向学心に燃えて、修了論文まで書いて、教授から高評価を得た。ぜひ、この「有利な」時期にロースクールを目指して欲しい。
「法科大学院小論文 夏のセミナー」には、まだ残席があるので、ふるってご参加下さい。皆様のご参加お待ちしています。
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