2025年7月17日木曜日

不安な時代に生きること

今年になってから、一気に世界が不安定化しました。大きな原因はトランプ政権でしょう。「相互関税」とかいう理屈でアメリカへの輸出を制限する。それがいやなら「取引に応じろ!」と相手を屈服させる。

上手く行っているとは思えません。「関税」の本格的発動は何度も延期され、その裏で物価は上昇を続け、GDPも落ち込む。関税は原理上価格に転嫁されるので、インフレは必然。企業に圧力を掛けて価格を上げさせまいとする。世界の不条理をまざまざと感じさせます。

10年程前、ヨーロッパに行った時、フランス在住の陶芸家の家に泊まりました。周囲はまったくの田舎で退職者たちが住んでいます。仕事がないので、若者はいられない。ただ、どの人たちも感じが良い人ばかりで、「この地域に来た初めての日本人だ」と歓迎してくれました。

500m先に住んでいる夫婦は、旦那さんがもう80歳を超えて、元ウクライナ移民。「アペリティフ飲みにおいでよ」と言うので、夕方に行ったら、いきなり「移民問題」の大議論になりました。

驚いたのは、ウクライナ出身移民の彼が大の移民嫌いだということです。「今の移民は質が悪い、もう移民は禁止すべきだ」と言う。いや、だって自分が移民だったでしょ、と突っ込まれるが、まったく動じない。「俺の頃は優秀な人たちが来た。だから自分も成功した。だが、今の移民はクズだ」と。

彼は生活も安定し、フランス人女性と結婚したのだけど、そうなる権利を他の同国人にも認めない。どう考えてもおかしいのだけど、本人は大真面目。信じて疑わない。もし、私たちが移民して彼の隣に住んだら、差別されること必定でしょう。

友人は「良い人たちだけど、私たちと違ってNon-educatedなんでね」と言います。生活を安定させるために必死で働いて、年金で暮らせる今の生活を築いた。その実感の方が大切なのでしょう。自分の成功は、フランスの唱導する公平とか平等とかのおかげなのかもしれないとは考えもしない。

その点では、トランプも同じかも。世界の自由や公平が基盤となって自分が成功したかも、と思いもせず、ひたすら「頑張った自分の実感に立てこもる。それができない他人はクズだと。

こういう偏見を壊して全体を見させるのはEducationなのだけど、彼には教育が身につかない。法も経済も理解しないで、がむしゃらに自分の思うことを行う、それがどんな混乱を引き起こすかも頓着しない。

インターネット後の世界は「新しい中世」とも言われます。情報の洪水とともに、すべての知識の相対化が起こって近代以降に苦労して築き上げた理念が崩され、各々の「信念」しか頼るものがなくなる。その信念に基づいて、互いに相手を否定し、激しく抗争する。ほとんど宗教戦争まがいの状態。

こういう混乱に対抗するするには、やはり自分がEducatedになるしかありません。広く深く知識を集めて、それを元に様々な問題を考える。失敗を受け止め、さらに努力する。安易に「個人的信念」に頼らない。そういう辛抱強い訓練を自分に課す。その訓練が、社会に圧倒的に欠けているように思います。

八月には「法科大学院小論文 夏のセミナー」が始まります。毎年のことですが、社会や法の問題を元に、自分の持つ知識を総動員して、法科大学院の出題する問題を考え抜くことをおよそ10回にわたって行います。毎年、この講座の中から、合格者が出て、社会の様々な具体的問題に取り組んでいくと思うと、小さいけれども重要な機会でしょう。

法曹になろうとする人々、不安な社会の中に、正しい知識と判断と思考力を持とうとする人々にぜひ利用していただきたいと思います。

2025年7月10日木曜日

ハビトゥスということ

この頃、ハビトゥスという言葉をよく考えます。ハビトゥスとはラテン語のハベーレ(持つ、英語のhave)の完了分詞で受動の意味を持ちます。だから、意味は「持たされたもの」とか「身についたもの」で「習慣」とか「慣習」という意味になります。言わば、いつもやっていることで、やることが習慣化したもの。

語学の勉強なんかそうですね。少しで良いので、毎日毎日少しずつ学んでいく。それが積み重なって、一年あるいは数年たつと何となく進歩が分かるようになる。むしろ難しいのは、変化がゆっくりなので、日々の進歩が実感できないのに、たゆまず続けていく、という動機をどうやって持ったら良いのか、ということです。

よく「強い意志を持つ」と言いますが、「意志」はあまり信用できない。そもそも何かしようとい意志をどうやって持ったら良いのか? 意志で何かしようとい意志が持てたとして、何かしようとい意志を持とうとする意志をどうやって持ったらいいのか? さらに何かしようとい意志を持とうとする意志を持とうとする意志を…これではどこまで行っても最初が見つけられません。

経験的に言うと、人間の行動なんて、意志を持つぐらいでどうにかなるものではない。むしろ、自分を騙して気分が乗るような工夫をする必要がある。それをどうやって見つけたらいいか?

一番良いのは、外部に「学びに誘導する環境」を用意することにあります。気分が乗ろうが乗るまいが、とにかくやらなければならない。自分では、そこに参加しようという最小限の意志さえ持てば良い。やることはほんの少しで簡単にする。後は、周囲がいろいろ提供してくれることに乗れば、その内、自然に気分が乗ってくる。それが連続してくれば、勉強がハビトゥス化するわけです。

この頃の語学勉強アプリなどでは、その辺りが上手く出来ています。たとえばDuoLingoなどというアプリは、毎日「今日もやろうね」とメッセージを送ってくる。「しようがないな、やるか」と練習を始めて五分ほどやっているとすぐ一生懸命になっている自分に気づきます。人間の気分なんか当てにならないものだな、と実感します。

あるいは、健康管理アプリでは、一日の歩行数を設定して、それが達成されたかどうか、知らせてくれる。時々「よくやったね」と銀色のバッジをくれます。バッジに何の価値があるわけでもないけど、それを目安として、明日も歩こうかな、という気になります。時々の達成感をかたちにしてくれることに意義があるわけです。

8月初めから、ボカボでは恒例の「2025法科大学院小論文 夏のセミナー」が始まります。ただ、今年はトランプ政権がムチャをやるせいで民心不安定なためか、何となく出足が鈍い。私のかつての予備校時代の同僚も、今年から仕事を離れたという人も多いようでした。私の教え子で予備校講師になった若い人でさえ、今年から大学受験指導は止めて、他の国家試験対策に転身すると言います。「いったい、受験生はどこに行ってしまったのだろう?」と言っています。

若い人々のライフコースに大きな変化が生じている気がします。かつてなら「日本の大学受験は第二の誕生」などと教育社会学のテーゼがあったのですが、決定的な性格は薄くなったように思います。むしろ、大学院とか生涯教育とか、様々な転轍のチャンスがずっと続いていく、構造になっている。だから、勉強も、あるとき集中してやるのではなく、さまざまな機会を捉えて、つねに自分をプラッシュアップする形になりつつあります。

このあり方では、なかなか集中して勉強できない、という悩みが大きくなります。集中しようとしても思うとおり行かない。その内、トランプがまた変な政策を打ち出す。こんなに世界がメチャクチャなのに「はたして勉強など続ける意味があるのか」と悩むのも無理からぬことかもしれません。

これでは、なかなか勉強は始められない。いくら、本を読もうと思っても、その気力が出ない。こういう場合は、とにかく進められるように環境から変えることが大切です。「夏のセミナー」では、否が応でも10回程度の提出をしなければなりません。とりあえず目の前の課題に取り組んでみる。すると、自然に色々なことを考える。その過程自体が勉強になっているのです。

書いた文章も「ここがダメ」「ここがよく書けている」と明確な評価となって返ってくる。その評価に納得するかどうか、は別問題ですが、客観的な評価はこういうものだ、ということを見せられることで、自分の書いた手応えが分かる。それが「夏のセミナー」のもたらす経験です。

毎回、このセミナーの受講者から、有名法科大学院への合格者が出ているのも、こういうハビトゥスを作るシステムになっているからだと思っています。法科大学院を目指す方、ぜひ来てみて下さい。きっと得るところが多いと思います。